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オーナーの車は事故車だった。
むろん、そんなことは、どうでもいい。
オーナーの物を大事にする心が、
そんな前歴など、ふっとばしてしまうから。

だいたい、事故車だから、だめだというのなら、
人間だったら、どうだろう。
とんでもないことをやらかしたひとは、
もう、だめだということになる。
たちなおることもできず、やりなおすこともできない。
そういうことになってしまおう。

つまり、ぼろぼろになっていれば、
できるかぎり、元通りにして、
もっと、性能を発揮できるようにする。
いわんや、車をだにしてである。

で、車のことはおいといて・・・。
事故の残留思念をうけたようで、
どうも、かなりきつかったようで、
どなたかが、ユニコーンを送ってきてくれた。

www.

すると、また、後日。
車の近くに寄ると、
ぽつんと
「よっぱらっていたんだ」
と、うかぶ。

そして、夢の中で今の車庫、車の下が真っ赤にそまっていた。

事故でその人がなくなったのか、どうかわからないけど、
あの調子だから、なくなっていたとしたら
なくなっていても気がつかないのかもしれない。

それが、まあ、なんとかとれて?
あいかわらず、オーナーは車をさわっているし・・・
「きれいになったやん」
と、いうと、おうと、きこえる返事のなかに
なにか、混ざりこんでくる。

心残りないか?とたずねると
「あの車にもう一度のりたい」という。

しばらく日にちがあって、
オーナーがドライブにいこうといいだした。
それが、このまえのことで・・・・。

まあ、実際のことがわからないのだけど、
同乗者だったのかもしれない。

そして、奇妙に頭のてっぺんがぼわぼわした状態のまま
憂生(うい)も助手席に座った。

おそらく、もう一度、車にのりたいという思いは
かなっただろうとおもうのに・・・・。

帰ってきても、頭のぼわぼわがとれないどころか・・・。
よけいにくらくらして、気持ち悪くなってきていた。

なんでや?
と、いうより、もう、しんどい・・・。

そこで、先日の日記をかいた。

しばらくすると・・・。
友人・・・知人・・・ちょっと、あいまいなんだけど・・・
が、やってきて、話になった。

何をはなしたか・・・。

簡単に書くと
先日の渡辺けんのTVのことだった。
彼は、
毎日、積み上げたものを毎日壊し、毎日つみあげ、毎日こわしていく。
常に新しいものを模索していくというか・・・。

古いしきたりや因習をこわしていくことさえ、
むつかしく、
次から次から、負の連鎖をつみあげていく。
これさえ、できにくいことでありながら、
よくやった。すばらしいとおもえることでさえ、
そこに、とどまらない。
この人はすごい・・・。と。

そのうち、ふと、今、どうしてる・・と
おそまきながら、たずねてみた。
すると、
こういう。

「神社にいって、おはらいしてもらったんだ」

「ここ、1年はうごくな」と、いわれた・・・。

は・・・。
まさに負の連鎖といっていいか。
つまり、動いたら、悪いことになる。
と、いう約束をつくってしまう。
うごけば、悪いことがおこり、
やっぱり、神主のいうとおりだった。
だったと、なってしまう。
「かまわんやん。失敗したら、それで、なんか、きれいになるんちゃうん?」
その失敗から、何をまなぶかということであり
自分の人生の舵主を神主にしてしまってどうするんねん。
前もあたっていたから、今度もあたる。
と、いって、殻にとじこもっていたって、どうするんねん。
今回、あたってしまったら、もう次からはこんから、
はよ、済ませてしまおうとでもおもえ・・・というか・・・www

しかし、憂生がそうだったと思う。
たたかれたら、前にでてきて、たたかれたら、前にでてきて・・と
そういうことが、できず、
たたかれたら、意気消沈して
何でたたかれなあかんのや。
たたかれるって事はそんだけ自分がぼろいんか
と、みじめになっていただけだった。

そういう自分をみせられたんだなあと思いつつ、
もうひとつのことを思う。

憂生が、自分には守護霊とかそういう自分を支援するものはいないと思っている。

妙なことをいうけど・・・。
それは、少し前にもかいたように、
先祖は帰り、十柱の神も必要ないね。
と、いわれたことによる。

今、振り返って思うのは
御霊の存在を認識したからであるけど・・・。

それが、なぜか・・・。
おそらく、たとえば、神さまとか
守護霊とか、指導霊とか、
そんなものがいたら、
憂生は御霊に頼ろうとしなかっただろう。

つまり、本当に必要なのは
御霊であり、自分であり
そのパイプというか、
そこだけだった。

だから、師がいったことはたぶん、
もう、身近でお前を支援するものはない。
と、いったわけだし
本当にむかいあうものの存在だけをあかした。

そして、
憂生はよく、事象的なことで、雨をふらせたものという話を書いている。
雨をふらせたもの、
それは、ほかならぬ自分でしかない。
だが、いろいろなものがはいりこんできているという思いがあり
ほっとおいても、しぬわけがない憂生の弱音をまともにうけて
雨をふらせたそのものに対して
疑念がわいた。

こんな簡単に雨をふらせたりしてみせるのは
御霊じゃない。
御霊は、本当の土壇場ならものすごいことをするかもしれないけど
それでも、それは、けして、不思議な状態でなく
たとえば、首をつろうとした、木の枝がおれた
いつも来ないところに人がうろうろする
警察が来てこらとつれていって、不審尋問にあって
自分の心をはなすことになって、正気にかえるとか・・・。
そんな風に、ぜったい不自然ではないと思っている。

だから、雨をふらせたものは、
憂生の御霊をほしがってるものだと思った。
そこで、それをありがたいとおがめば、
そいつが憂生を牛耳る。

すかさずといっていいと思う。

憂生は自分の御霊に礼をいった。
雨をふらせてしまうようなものが、
ほしがるほどの御霊を憂生は持っている。
なぜ、それをしんじないのか。と
ありがたい自分なのだ。と。

それも、ただただ、自分の御霊をしんじなおすための
幻想でしかなかったかもしれない。

単純に御霊が雨を降らせたのかもしれない。
けれど、
自分の中にまだまだ、御霊の価値をはかれない自分が居た。

このせいかもしれない。
守護霊からとか、
神様からとか
高次元の存在からとか
こういうふうに、いってくる人について、
どうしても、疑惑を感じる。

前世がこうだった。
そんなことどうでもいい。
今、今世があなたでしょう。

昔すんでたところが、どう。
もう、そこにはいないでしょ。

今、しかない。
その今も、たえまなく、つみあげ
明日には壊し、また、つみあげていく。

渡辺けんというひとが、自分のものにした境地は
真実であり、真実でない。
真実は物事でなく、ただ、渡辺けんのなかにある。

憂生は憂生の真実と向き合う。

それだけだろう。
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