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ジャイアン教信者かもしれないwww

これまで、いろいろ、あったことを考え直している。
SPの考え方でいやだったことは、
あてこんだ思いというか。

こうすれば、よくなりますよ。

と、いういわば、おがみ信仰というか。

実際、よくなるだろうとおもうのだし
すなおに信じる心に勝るものはないとおもうのだけど
理屈がわからないと納得できない。

魂をみがくためとか、
そのためにうまれてきたんだという言い方も
頭ではわかっても
のどを通らない。

なぜだろう?

それは、どこかで、「自分のため」でしかないじゃないかとおもうせいだろう。

無論、理屈でいえば、
自分がたすかってないと「人のため」など成り立たないとは思う。

けれど、
どこかでかいたけど
「思いひとつ」であるともおもう。

憂生はこれも、どこかにかいたけど
ドラえもんのジャイアンの言葉が好きである。

のびた達一行がピンチになる。
そのとき、ジャイアンがいう。

「友達が困ってるのにほっておけるかよ」

と。

このときのジャイアンは
自分にみんなを助けられる力があるだろうか?
うまくいくだろうか?
自分に人を助ける資格などあるだろうか?
などなど、いっさい、悩まない。
不安な思いひとつ、かけらひとつない。

憂生はようは、そこだと思う。

自分のためとか
助けるとよくなるとか
もう、そんなことなど超越して
その思い一心しかない。

物語をかいていても
読まれるだんかいになったときも
奇妙に、読まれることを意識しない。
ただただ、熱のこもったものを書く。

つまるところ・・・。

ジャイアンの思いこそ、「理」であり
こうすればよくなる・・・というのは方法
で、
「法」をもとめるあまり、
「理」がない自分にきがつかないというか・・・。

これは、いいかえれば、
思いと実現という(理と法)
裏表の1枚の紙であろう。

だが、肝心なことは
裏(理)がないことは法にならず
と、言うことだと思う。

憂生はある法具で精神崩壊になるところをすくわれた。
師がその法具をつくらせ
人がおかしくなっていくときに
その法具によって、正気にもどらせた。

法具については、また、べつのときに・・・。

遠い場所でその法具を用意するところから
憂生にはつたわってきていて
まもなしに、正気にもどったのであるが・・・。

憂生はこんなことを口にしたことがある。
「あれは、ただの棒だ」と・・・。
そのうしろですぐさま、思ったことがある。
ただの棒を法具につくりかえることができるということは
すなわち、それ、すべて
「師の愛」のなせるわざであると。

師は憂生の言葉だけきこえていたのか、
あったとたん
「あれは、ただの棒や」といっていたけど
その意味合いはわからない。

言葉とおりがつたわってしまったのか・・・。
それとも、
ただの棒をただの棒でなくさせてしまう師の理がわかったか?ということか・・・。

まあ、そんなことから、
通ったことだけを言うということが
少しふにおちだしてきた。

実際の場面で
友人がよくないことをしでかし
別の友人がアドヴァイスするのだけど
それが、いくらいっても通じない。
もうひとりの友人がアドヴァイスすると
すっと、目からうろこというのか
納得していく。

この違いはなにかといえば
二人の友人とも
友人のことを思ってものをいっているのだけど
片一方は自分がやってないこと。
いわゆる知識や考えからものをいっている。
片一方は自分が体験してること、実行してること
を、いう。

それは、失敗談だって、かまわないんだと思う。
こうやろうと思ってもできなくて、悲しいおもいをした。
そんな思いを味わってほしくないんだということであっても
やってみたということになろう。

そういう言葉を本物にする、
言霊と発動させるのに
自分がやってないことは、
裏打ちがないというのかな。

そういうのが、相手に響いていかないものなのだと思った。

まあ、もっと、分析すれば
知識や情報だけから
相手の行動を反対するのって
実際は
「おまえ、わるいやん」と、いう判断があるとも考えられる。

それをいくらいっても、
紙のおもては相手にとっていいことをいっていても
紙の裏は相手を批判しているのだから
つうじるわけがないのかもしれない。

心を思いを魂を納得させる
きりかわさせるということは
実は、自分がどこまで「愛」の心であるかでしかないのかもしれない。

まあ、ちょっと、かもしれないという断定の無い言い方でもうしわけないんだけど

実際、・・・。
うん。
このスレッドをかきはじめた最初の思いは
最近、よく言われる
「ライトワーカー」のことだった。

なぜか、わからないけど
憂生は
もうしわけないことですが、「ライトワーカー」にはなれません。
と、
おわびして、辞退?しなさいとおもわされるのです。

それは、まだまだ、自分が本当に人生通ってないせいからかもしれない。
違う役目なのかもしれない。

すばらしい「お役」だとおもうのに
なにか、すっと、その気にならないというか・・。

よく、わからないまま、
かいてみたけど、
やっぱりわからない。

ひょっとすると
自分のためにする?という思いになれないせいかもしれない。

本当にしたいとおもうなら、
ジャイアンのようにやむたてなくおもうのだろうし

あるいは、すでにライトワーカーだったのかもしれないwww

もう、次の段階を模索しているのかもしれないとか・・・。

頭でかんがえてもわからないけど
そういうことを表明してみたら
ふと、心がかるくなったのは事実である。
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