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教わる

人間の見えない環境に
たとえば、守護霊とか前世とか あと、血の継承と思いと考え・・などあると思う。
御霊を中心にして考えたときに
御霊(魂)に影響をあたえるものが
環境であると考える。

その中で
御霊と本人をむすんでいるものが「思い」であると考える。

この
思いもまたひとつの思霊・・・(たぶん  神話的に言うとおもだる・・おもいかね・・の神(よくおぼえてない))
と、考えたとき
この「思い」もまた、いろんな環境からの影響を受ける。

どういう思いを持てばいいかわからないときは
いろいろしらべたり、考えたりして
「思い」をよくするようにつとめる。

いろいろな思いもでてきて、
いろいろ、人間の頭で考える。

たとえば、ある霊能力者さんは、
前世がみえるらしく、簡単にいうと、前世の遺恨をはらしていくというか、
自分に影響している前世の思いをクリアしていくというか・・・。
こういうことをされている。
これが、正しいとか間違っているということではない。
一方で憂生の知人に前世を夢でみる人がいて
その細かな情報から(たとえば、きていた着物から、殷の時代の人だとか)
前世の行動(場面)から、ひとりで暮らしているとか?から両親が亡くなっているとか
類推していたのだけど
憂生はそれは「やめろ」といった。

つまり、みているものは前世の影でしかなく
今生はもう何かをクリアしているのだ。と。
調べるのはかまわないが
前世の遺恨をはらすのは、
今生でできていると。
たとえば、両親が死んで悲しいという遺恨をはらしてやるとするなら
自分も良心が死ぬか、擬似体験(両親がしにかけるとか?)をすることで、
前世が同じ体験をとおして、わかってくれたとなるわけで
さらに言えば、
今生はその体験を喜ばないと
たとえば、次死んだとき、自分も同じ遺恨を残すということになる。

と、なると、
わざわざ、自分が今生で両親を死なせたり?死なせかける元の思いをつくるということになる。
(これが、因縁)

だから、
もう、もう自分は今生で前世の因縁をクリアできてる。
(両親が元気で暮らしている)わけだから
前世がみせにきているのは
今生でもそうなったかもしれない自分の姿であるのなら
たとえば、
「辛い思いをしたんだね。そのおかげで、両親には長生きしてほしいという思いをもてるようになったんだと思う。
(わざわざ、自分が今生で両親を死なせたり?死なせかける元の思いをつくるということになる。を、持たないということを含め)今の自分があるのは_(両親が健在である)のは貴方の通り越しのおかげです。ありがとう」
と、本当の意味での前世をクリアしている自分を自覚して、自分に前世の元?である御霊に礼をいう。

と、いうのが、筋であるという考え方をするわけです。

前世がよってくる原因というのも
自分の中に同じものがあるわけです。

先のたとえでいえば、両親をしなせかけるような思いをもつというか
考え方をするから
おなじような前世がよってくる。

そこをクリアするのが、あるいは、クリアできてる自分をありがたいとかみしめることが大事なわけです。

物事、おそらく自分に元がないことはよってこない。

どういうふうに自分の思いをみつめるか。

と、いうことですね。

先の話でざしきわらしのことをかきましたが
あとで、友人になぜ、ざしきわらしがついてきたかわかるか?と、たずねたのです。
「こわがらせてやろうとした。いたずらしにきた」
その通りだと思います。

では、なぜ、そこに同調されるのですか?
「ああ・・・自分も友人をこわがらせて、おもしろがっていたことがある」

だったら、それが、かえってきたということでしょ?
相手にマイナスをあたえっぱなしになって
それがいっぺんにかえってきたらどうなる?

「ものすごく怖いめにあう」

そして、場合によっては心臓発作でもおこして・・・

と、かんがえれば
小出し?にしてかえしてくれたんだなと
よろこべるし
マイナスをあたえてしまった相手にもごめんなさいといえるよね?

と、いう友人側の因果を考えたわけです。

そして、次に憂生自身です。

物事、おそらく自分に元がないことはよってこない。

どういうふうに自分の思いをみつめるか。

と、いう部分です。

それは友人に言った言葉がそのままあてはまるんじゃないかなと・・・。

拡大解釈をしていけば
「ざまあみろ」とか
「ばちがあたったんだろ」
とか
相手の心を負にして、うさをはらすとか
こういうのもはいってくるでしょう。

ざしきわらしの声がきこえてしまう自分というのが
いかに
同じ程度?の(こわがらせておもしろがるの相似形)人間だったかと考えると
愕然としたわけです。

で、まあ
そうはいっても、そこを思い直すことができたので
ざしきわらしの用事はすんだとおもうのですね。

だから、わらい話にして
「なにか、ようかい?」っておわらせたのですが
はたして、こんな考え方がただしいか?
まちがってるかも、わかりません。

問題は
「良く取る」ということで
こういう言い方はもうしわけないのですが
霊能力者さんが
前世の思いを晴らしているというところに
自分が、もう今生でクリアしていることを
よろこんでいるか、どうか?というところが問題なわけです。

ただ、自分のために
やっているということでもあるわけですから
そんなことは
ひとおもいに
「ありがとう。みんなのおかげだよ」
と、クリアできることじゃないかとおもえて
なにかしら、
「自分・自分」の世界にいるんじゃないかなとおもえて
以後、その方のところには行かなくなりました。

無論
ここも、
憂生自身が憂生のためだけにやっている段階にすぎないということを
みつめなおさなければならないということだと、考えています。

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