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事象というべきかなwww

物語を書いていく中で
基本的に、主人公たちの性格や考え方など、いわゆるキャラクター・個性といわれるところを
軸にして、書いていきます。

ところが、ストーリーを優先させてしまうと、
なにか、しっくりこない部分があります。
極端になってくると、
この主人公じゃこんな事しない。
こんな考え方じゃこの主人公らしくない。
と、なって続きがかけなくなってしまうことがあります。

一番よく覚えてるところでは
白蛇抄、白峰大神のラストですね。
現在選択している結末がでてこなかったのです。
子蛇、みずから、草薙の剣の刃の下に滑り込むというものですが、
実際、子蛇を討たねばならず
主人公、あるいは、副主人公が討つしかないわけです。
ところが、どう考えても
この二人にはできない。
性格というか、精神というか・・・。
この物語は、最後で破綻してしまうのかと半ばあきらめつつ
それでも、なにか、納得できる方法がないかと思っていたところに
三日目にふと、子蛇が自らという案がうかんできたわけです。
これにしたおかげで、
もっと、深く納得のいく結末がでてきて、無事終わりをむかえられたのです。

こんなふうに、
主人公だったらどうするかというところを
ふまえて書いていくことを一番にしているわけですが
それでも、
主人公だったら、どうするか?
と、いうのが、まったく、見えないときがあります。

長いこと、放置している
性同一性障害(厳密には障害まではいってませんが)の物語。
この主人公が、自分の性別(役割)を男とすることで
双子の姉を守っていきてきたのだけど
姉に、姉を守るべき人、ともに人生をわたっていく相手があらわれたとき
妹は「女」としていきていく自分にやっと戻れたわけです。

ところが、妹がこの先、どんなところから、
「女」としていきていくことをもっときずかされていくか。
皆目、さっぱり、見当がつかなかったのです。
当時、高校生くらいだったと思います。
たとえば、妹が大学生だったわけですから
社会人になって、
仕事をとおして、気がつく?とか、
かんがえてみても、
自分自身が高校生で、社会の仕組みも感情も意識もさっぱりわかってない。
こりゃあ、もっと、自分が人生わたっていかないとかけないことなのだ。
と、あきらめて
そのころに断筆宣言をしたのです。

そして、あることがきっかけで、
かきはじめたら、
でてくるわ、でてくるわ。
打ち込みが間に合わないほど物語がでてきて
あっと、いうまに1年足らずで50編くらいの物語ができたわけです。

双子の設定というのは、白蛇抄でも二重で、でてきます。
そして、擬似的な性同一障害をついだかとおもうような設定もでてきます。
「男」でなければならない主人公として・・・。

まあ、結局、こういうふうに、
自分の中に書けるものが、ないと、
「書けなくなる」という
技術面とか構成面でなく
自分のスキルというか、
考え方や経験が浅いとどう主人公にそわせてかけばいいか
わからないというのが出てくることがあったのです。

このため、
お登勢も、長いこと、途中で放置していました。
3年以上・・・。
ほぼ、80%ちかく、かきおえていながら、
この登場人物だったら、こうするだろう。こう考えるだろうというのが
見えないのです。

自分の経験値がないから、
性格上での結末に、結びつかない。
ストーリー的にはできているわけです。
ところが、納得のいく、この人なら、そう考えるだろうが、
ぜんぜん、わからない。

そして、3年近くたったある日、
ふと、かきはじめたのです。
この間、憂生個人に、いろいろな出来事があり
それが、そのまま、この人ならこう考えるだろうにむすびついていったわけです。

****
「情けは人のためならず・・っていうだろ?
人に情けをかけておけば、
いずれ、それが、自分に返ってくるってな。
人を思う気持ちが深ければ、深いほど、
深い情けが返ってくる・・。
自分の幸せはその情けが帰って来た姿だ。
自分の幸せの大きさは、自分の思いの深さだと思うんだ。
深く暖かい思いを持てば持つほど
幸せも大きく暖かいものになる。
俺は・・・先に幸せってものを手に入れたいって思ってたけど、
自分さえ情け深い人間になれれば
幸せってのはあとから、勝手についてくるもんだ。
俺自身が人としてよりいっそう徳をつむことのほうが先なんだよ」
****
と、こういうものですが、
この台詞をはかせる(思いつく)だけの出来事が
憂生にあって、
ある意味、本物として、出せるようになったわけです。

そして、次に目指したものは
「赦す」ということでした。
これも、55000文字までかいて、
ストーリー的にはできあがっていて
粗下書きもできあがっています。

けれど、かけないのです。

なぜなら、
憂生自体が
「赦す」ということを通りきっていないせいだと思います。
言葉でも、観念でも、考え方でも
それは、十分にわかっていると思います。

そして、「赦す」もほぼ、できていると思います。

けれど、本物として、完成されていない。
のでしよう。

時折、ふと物事がわかるのなら
なにも、本当にあじあわされずとも
よいじゃないか?とおもうことがありました。

けれど、それは、
それを語るとき
「絵に描いた餅」でしかないんだと。

何か、本当に自分が会得・あじわった物事は
自然にわきでてきて、
その言葉が
読む人にひびき
たとえば、Aさんのように
閉じこもった世界から自分をとびださせることができるほどの
力を持っていたのだと思います。

むろん、Aさんの感受性ということや、
時期も良かったのだろうと思います。

それが、無い。こもらない。
この状態になったら、ぴったり、筆が止まってしまったのです。

いつか、書ける自分になるのだろうとおもっていますが
やはり、言霊ならぬ文霊にできるまでは
かけないのだろうと思っています。
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