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ちょっと、気分をいれかえましてwww
過去記事をあげなおして、よみかえしてみますと
すでにある程度の結論えてるじゃんとおもうのですねwww

つまり、その時点で浮かされて書いてるというかな。

有言実行のためにかいてるというかwww

読み直すと、ああ、そうだったなと思うところがいくつかあります。

そのころより、
いくぶんか、人間つめたくなったところがあるかなあとおもうのですが
たとえば、Sさん。
現状に不満で最終的にネットで知り合った人と合ってみるということになり
かけおちしてしまって、元のご主人とは協議離婚になり親権も当然とれなかったそうです。
この人に憂生は
とにかく(元の)ご主人とやりなおせ。と
お互い話し合えと
わがままなきもちであったとしても、そこをしらせないで
離婚したり、他の男のところへ逃げるなんつーのはいかんじゃろと・・・。
離婚しちゃいかんというわけでなく、
修復や分かり合うということの努力をしないのはまずいんではないか。
と、まあ、いろいろはなしはしたわけですが・・・。
結局、簡単に言えば、自分にその気になってくれず
反対ばかりする憂生ではあいてにならんとwww
他の人のところにいって、結局、と、いう結果になり
本人たちはまあ、それで、幸せになってるんでしょ。たぶん。

で、まあ、なにがその人にとって幸せかということになってくると
そこは、憂生にとっては、
判断できることではないわけです。

最終的にいえるのは、
たとえば、憂生が同じようなことになったとき
上に書いたようなこと(話し合うとか)を選ぶ(選ばなきゃいけない?)人間なんだなという
自分を表明しただけなんだろうなって。

むこうにすれば、
憂生は憂生の自分表明をしてくる。
自分の気持ちはわかってくれない。
と、いうことなのでしょう。

もともと、そろそろ結婚したほうがいいな。
みたいな気持ちになったときに
求婚されて、一種、お見合い状態が成立したようなものらしく
そうこうするうちに
仕事ですれちがったり(単身赴任とか?)
ときめきをかんじない。
と、いう状態におちいっていたそうです。

このあたりでも、
じゃあ、次の人ともときめきをかんじなくなったら
離婚しちまうのか?
と、いうなにか、その場しのぎの考え方にみうけられて
彼女が言うところの
「ときめきを感じない」という意味合いを深く理解しようとしなかったところはあります。

いずれにしろ、
いくらとめても、無駄だったのだろうと思えたのは
やはり、自傷癖(こういういい方で呼ぶのはいやなのですが)の青年の助言でした。

「憂生はその女性の妄想列車にのせかけられたんだよ」
じっさい、その通りだったと思います。
彼女はネットで知っただけの憂生に「恋」をしたというのです。
その憂生が自分の思うとおりにならなかった。
そこで、彼女いわく、
「真剣に思ってくれる人があらわれた」ということで
かけおちにまでなったのだとおもいますが
元の思いのところをいうと
「ときめくようなひとがあらわれないかなあ」という
妄想が出発点だったのでしょう。

ひょうたんからこまということもありますので、
その新しい人が「こま」であるということだとはおもいますが・・・。

はたして、
元のご主人が
「こま」で無かったかは、疑問ですね。
二人の子供と彼女と父母との生活をささえ、
一生懸命やってくれていたとおもうのです。

なにか、それに感謝することがたりていなかったというか。

あたりまえになってしまったというか。

今の世の中、女性でもそこそこの給料をもらえて
夫の稼ぎにたよらずにいるひともおおく
離婚するというのでも、
これは、自分だけの力ではくっていけないということもなく
自分の心のままに離婚できるという自由ができているという気がします。

そのせいもあって、
辛抱してみるとか
逃げ場は無いんだとか
このひとりの人間とうまくやっていけない自分が他の誰かとやっていけはしない。
とか
その場にとどまっていく歯止めもなくなってきた気がします。

そして、一昔前なら
「妄想」にすぎなかったことも
実現させてしまうネットという存在も介在して
「辛抱する気に花が咲く」とかwww
そんな言葉も意味不明になってしまうほど
「なぜ、それを我慢しなきゃならないの?」
と、いう考えのほうが主流になり

ひょっとすると、
そんな考えをなだめるためにも
スピリチュアルが全盛期になっているのなら
スピリチュアルもただの傷薬でしかなく

もっと、根本的な打開が必要になってくるのでしょうか。

根本的な打開。
それは、生きているだけでもありがたい。
飯をくえる・すむ家がある・着る服がある
と、いう最低限のところのありがたさをしらされ
安定した生活をもたらしてくれるパートナーに対して
それこそが愛だと受け止められる。

そういうことが必要になっているのかもしれません。

地球が病むというのは、そういうことがもとで、
元をただすために
文明や文化など何も役にたたないということを
知らせに来ているのかもしれません。

よく、地震がおきるのをとめるのは
どこそこの神様をまつれとか
言うのをききますが
一番、最初にすることは
自分に命を与えてくれた親
次にそれを継続させてくれる衣食住をもたらす人(親や伴侶とか・・)
そこに最初に礼を持つべきではないかと思えます。








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