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Aさんのこと

前記事をかきおえたあと・・・。

なんというんだろうか・・・。

こう胸の奥でじわ~~と涙ぐむような?
奇妙な感覚ですね。

いっぱい、書いてるから
どの言葉に反応しているのか、
わからないんだけど・・・・

思い当たることは
ひょっとして
「好きだったら、あがっていける」
と、いうところかな?

亡くなったAさんは、あとで、お姉さん(同じく亡)の恋人が
Aはおまえに好意を寄せていたということを
いっていて、
このことから、
神道家がきてくれて
憑依を払ってくれた、その相手がたぶんAさんだったのではないかと思うようになった。
神道家は
「赤い大きな指輪をした40際くらいの(中年のといったかも)女性(きれいなといったかも)おぼえないか?」
と、たずねてきたんだけど
残念ながら、覚えは無かった。

ところが、その後になってから
姉の恋人が先に書いたことを告げてきた。
実はそれはまわりの中傷とかで
うすうす、感じていたことだった。
周りから、憂生のところ(ぶろぐ)に行くなとか、バッシングがあったらしい。
単純に友人という感情だったら
まわりが、ああまでバッシングしなかっただろうと思えた。

それで、まあ、うすうすわかっていたことだからと
さして、気にとめなかったのだけど・・・・。

払われた霊がAさんだったのではないか?とおもったとき
霊は憂生からはらわれたかもしれないが、
(じっさい、朦朧とした感覚があったのだけど、神道家がきたあとしばらくして、なくなった)
霊自体の思いはどうなっちゃうんだろう?
よく自殺した人は思いがついて、あがれない。
と、いうこともきかされてたし
憂生の彼の魂が・・・でもかいてるけど
亡くなった従兄弟も死んだことがわかってなかったのと
父親にたいする、嫌った思いのせいで
そこに、いわゆる執着があったんだろう。
あがれずにいて
師の助言で本当の父子というものがどういうものかみせてあげられたら
きがついて、あがれる。
と、いうのがあった。

だから、単純にはらわれたから、いいや。
と、いうものでなく
Aさんであるのなら、思いも昇華してほしかった。

それで、憂生にできることといえば
そうやって、わざわざ、姉の恋人がいいにきたということからかんがえても
その後のこちらのうけとめかたにたいしても
Aさんの「思い」をうけとめていなかったなあとおもって
「こんな憂生をおもってくれてありがとう」
と、・・・・。

そして、
それで、おわっていたところがあるんだけど
Aさんのことをかいたところ
たぶん、Aさんの思い?が胸の中にはいってきたんじゃないのかなあって。

そして、
好きだったら、あがれる
と、いう言葉・・・。

これが、わからない。

憂生をすきだったら、あがれるだろうと何者かがさとしたのか?
たとえば、成仏しろといった話のような具合に・・・。

逆に、
好きだったら、あがれる。
好きじゃないから、あがれない。
好きじゃないというのは、悪い言い方だけどうらんでるとか・・・。

どっちにも取れる言葉なので、
すこし、憂生の思い浮かんだことを書いていこうと思った。

子息の事故現場にはなをたむけにいった彼女は
そのあと、
88箇所めぐりにいってくるといいだした。

そして、旅の宿で学生さんたちと同宿になったらしい。
そのとき、学生さんが彼女の好きな歌・リクエストにこたえて
みんなでうたってくれたらしい。
自分のために・・
思いをかけてくれる・・・・
彼女は涙いっぱいの状態でそのことを報告してくれていた。
そのときに
背中だったか、ひざだったっかがものすごくあつくなってきたらしい。
暖かいという・・それで彼女は
「これ、あのこなのかな?」
と、たずねてきた。
おそらく、そうだとおもったので
「ずっと、一緒にいたんだよ。あなたがふさぎこんで、とじこもって
人の温かな思いにさえふれようとしない・できない状態を心配していたんだ。
でも、いま、そうやって、歌ってくれる人たちにありがとうって
ぽろぽろ涙ながすあなたをみて安心してかえっていったんだよ」
と・・・。

正直、かすかな不安があった。
守りにきていたのなら・・
かえってしまうだろうか?というような妙な不安。

まさか、むかえにきたとか?
と、いう思いもかすかにあったから
なおさら、安心してかえっていったんだといったところもあるし
それもうそじゃないとは思う。

結局それから、1年後にくらいに
彼女は白血病でなくなった。

彼女にブログをすすめたご主人だったらしく
憂生のこともわかっていた。
彼女のブログからご主人のメッセージがとどいて
「いま、病院にかつぎこまれて、意識が回復しない」
「好きだったブログの友人からメッセージをもらえたら
回復するかもしれない。できたら、なにか・・いってやってくれないか」
と、いうことで、急遽、メッセージを掲げて
友人・知人に彼女のブログにかきこみをしてやってくれ。
ご主人が彼女によみあげるから・・と、みんなにつたえた。
そして、何日かして
彼女の意識が回復し、これもご主人から1報がとどいた。
憂生のほうは少しご主人とやりとりして
彼女のことを・・という言い方で話をしたのだけど
ご主人は彼女にたいして
「先代のご主人(雇い主)から、お預かりしている」
と、いう答えで
おそらく、前妻をなくして、別の人がいらっしゃって
その方のことを本気でかんがえていらした。
ところが、恩ある先代から娘をもらってくれといわれたのだろう。
断るに断れないなにかしら大きな事情があったと思える。
「聞いてらっしゃると思います。事情を察してください」
と、いう言葉がかえってきて
それっきりになった。

彼女にすれば、自分の父親のような年齢の人のところに嫁ぎ
不安がいっぱいだったろう。
そこに自分と同い年くらいの子息がいて
話も合っただろうし、趣味もあったのだろう。

あるいは、心のよりどころになっていたのかもしれない。
その子息が亡くなった原因が
彼女に父の真実をさとらせまいとして
父親の別宅に父を呼びに行って事故にあって
と、いうことだったらしく
いっぺんに、なにもかもうしなってしまったということだろうし
そんな事情がなければ、事故にも遭遇しなかったかもしれないという思いもあったかもしれない。

人をうらむまい、にくむまいとしたともおもえる。
だからこそ、その事故現場は
彼女にとっていくにいけない場所になっていたと思う。

そんな事情も話すことなく
心を閉ざしていた。
話せる心理状態でもなかっただろう。

子息は亡くなり
ご主人は形だけの夫で、
「大切なおじょうさんをお預かりしている」という
僕人のような・・
ともに人生を歩んでいくというパートナーでなかった。
その状態を人に話すのもつらいだろうし
それをつらいとかんがえることをおもわせなかったのが
もっとつらいことのせいだったろう。

傷で傷をぬぐう。
と、いってもいいかもしれない。

先代がどうだったのかしらないけど
彼女は離婚することもできなかったようで
かごの鳥のような状態で
ずっと、ショックの中に居たのだと思う。

病後だったか、そのまえだったか、
友人には
もう、わたしてやったわよ
と、いう内容のことをいってたのがちらりとみえた。
その言葉からも
本当は彼女はご主人にあいされたかったんだろうな。って。
愛する人が自分を思ってくれない。
心和らぐ相手も自分を思ってくれない。
(死んでしまってという意味で)

彼女は誰にも思われない自分という孤独にうちのめされていたんだろうとおもう。

そんなときに憂生のブロー・ザ・ウィンドを読んだらしく
「みんな、貴方がしあわせであってほしいとおもってるんだ。
貴方は死んだ人間を思って、自分をゾンビにしてしまってるんだ
貴方が不幸な状態がみんなを不幸にしてしまうんだ」
「私?おもわれているんだ?」
・・・ちょっと、抜粋じゃないのでおぼろげだけど
このあたりの言葉が彼女の心をひらいていったのか
亡くなったおさななじみが
主人公の幸せを願っている。というところに
気持ちがひらかれていったのか
そこはさだかじゃないけど・・・。

そのことがあって、
話をするようになり
憂生の他の言葉もあったし
「さらす」とかね・・・

友禅流しは冷たい水にさらすんだ。
布についた余分な糊とかとりさるために
「さらす」
その水が冷たいければ冷たいほど
友禅はさえる。

そんな内容だったけど・・・。
言うにつらい、そんなつめたい水に自分をさらけだしてこそ
よぶんなものがおちて、きれいな友禅になるんだよ
そういうこととかね・・・。

そんなのがあって、
彼女は憂生に話し始めたんだろうと思う。

病床の彼女からメールが届いていた。

憂生の物語やそんな言葉など
自分の心の中の宝石箱に大事にしまってるって。
そして、今日も又素敵な言葉をみつけた。
って、

その日記を続きにいれる。
けど、探してこなきゃいけないので
一回、アップする。




わが胸に菊香あたえんとてさしだせり乙女のかいな逆風わりて。



わが胸に菊香あたえんとてさしだせり乙女のかいな逆風わりて。
訪問記憶のロゴタイトルをご存知の方も
多いと思うけど、
これは、
憂生が作ってみた短歌である。

でき具合はさておき。

其の短歌の後ろにある話しを過去の日記から、
引っ張り出してみた。

わが胸に菊香あたえんとてさしだせり乙女のかいな逆風わりて。

at 2004 06/25 09:26 編集

こっちに着た直ぐの事だった。

伯父が就職祝い と転居 祝いを兼ねて

なにか、かってやるといった。

丁度、孫娘の節季の祝いに雛人形 を買いにデパート にいくから、

「お前も来い。好きな物をかってやる」

と、でんわがはいってきたので、

同行をきめこむことにした。

ナニを買ってもらおうという気は無かった。

伯父の気持ちがうれしかったので、

でむいたのである。

先に伯父の目的の雛を見に行く事にした。

此処で乙女に遭遇したのである。

ガラスケースに入った市松人形である。

最初見たとき、幾分寂しげに見えた。

だが、なにより人形の構図が奇妙だった。

着物 のすそと袖は風にあおられたように

後ろに流れた線を描いている。

だが、乙女は腕を伸ばしている。

その手に菊の華をもっていた。

それが憂生には

「どうぞ」

と、差し出しているように思えた。

ただ、たったまま、

差し出している乙女の像であれば

憂生は此処まで心にとめなかったであろう。

風にあおられている。

それでも菊の華を差し出している。

この構図が心に染みた。

人との関わり。

この中でどれほど

自分の思いをささげようとつとめることができるだろうか?

見返りを求めずただ差し出すことはまあ、出来ぬ事ではない。

だが。

逆風。

時に酷い仕打ち。

裏切り。

否定。

拒絶。

こんな逆風を受けると、

人の多くは差し出す心さえ見失ってしまう。

だが、乙女は少し寂しげであったが凛とした思いを顔に浮かべ

菊華/愛とよぼうか?/を捧げんと、逆風に

あおられながら

手を差し出す。

腕を伸ばす。

自分がかわいくて、

くるしくて、

誰もが

逆風に身をちじ込ませる。

なのに、乙女はただ、じっと

ささげようとする。

憂生はこの乙女が語りかけてくる物に、

胸をつまされた。

憂生からいえば、与えられたものがある。

つよくならねばいかぬ。

自分の底の思いを見失わず

差し出せる強さを持たねば成らぬ。

「わが胸に菊香あたえんとてさしだせり乙女のかいな逆風わりて」

乙女のように生きたいと思った。

もちろん。この人形を祝いとして、伯父にねだったのはいうまでも無い。

追記。

ゆえに憂生は逆風を受けても

自分の思いを見る。

相手の行動/逆風/を見はしない。

自分は菊華をさしだしたい。

この思いをしっかり胸に抱く。

その癖は乙女がくれた物である。
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