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考え中

頭上チャクラの違和感がちっとも、とれないので、
ついついあちこちのブログにお邪魔して、
いるのですが・・・。

そのあたりで、
こう、読んでいると、
頭にちかっと痛みが走るブログがあります。

内容的には
感情的(私憤?)で、内省のないものに、そういう痛みを感じるようで
そのあたりのブログからは
即退散してきます。

この痛みという部分については、
以前書いた、御霊が受ける痛みとよくにていると思えます。

こういう「負の思念・エネルギー」を
痛みとして感じるということについては
痛みとして感じない人だって
当然、被害?がおきているということになると思います。

もちろん、自分の状態にも左右されて
陽気な状態でいれば
何らかのバリアができていて
スルーできることだと思います。

しかしながら・・・。
どちらかというと
書く側の立場になる人間としては、
気をつけなきゃいけないことですね。

知らずのうちに
負のエネルギーをだしているかもしれないということを。

元来、
喜べる見方とか
観を変えるとか
そっちに重点をおいていて、
そのためにも、
思いをだしていくということをかいてきていました。

白血病でなくなったAさんは
最初のころ、閉じこもった状態で
ほとんど自分の思いを出さずに
歌詞とか、そんなものを上げていたのです。
この歌詞もおそらく、Aさんの世界の一端をあらわしていたのだとおもいますが
自分の感情や思いをめったに書くことがなく
周りのブロガーからは
陰気な人としかうつっていなかったのです。

それが、憂生のブロー・ザ・ウィンドをよんだあたりから
急にかわってきて
自分のことを話し出すようになったのです。

突然、結婚を強いられ嫁いだ先には自分とほとんど年の変わらない子息がいて・・・。
そして、結婚をことわれず受けるしかなかったご主人には
ほかの人がいて・・・。
その事実をAさんにけどらせまいと父を呼びにいった子息が交通事故にあって即死。

Aさんは結婚相手の本当の思いと事実を知ることになり
同じ年頃で自分をかばってくれる存在をなくし
20年近く、ふさぎこんでいたのです。

そんな状態であることなど
いっさいあかさず
たぶん、子息がギターでひいてくれた曲などから
音楽のなかで心をなごませていたのでしょう。

それが、ある日
息子の事故現場に19ねんぶりに花をたむけにいこうとおもう。
と、はなしだしたのです。

うれしかったですね。

むきあうこともできず
さけていた場所に行こうというその変化とともに
自分のことを話し始めた彼女に。

それから、いろんなことがあったのですが、
彼女からおそわったことは
「自分をさらけだしていくことの大切さ」だったと思います。

自分をさらけだしはじめると
とたんに友人もできて
もっと深い話もしているようでした。

閉じこもった世界から
一歩ぬけだしていったら
彼女は
いろんな人に思われている自分を強く認識したようでした。

ブログの最初に
「いつも、思いを(かけてくれて)ありがとう」
そんな言葉をかかげていたのは彼女の本心だったのです。

そんな風に、
心を開き、自分をだしていくということは
とても貴重なことですが・・・。

一方で私憤で物を言う人がいるのも事実だし
憂生もやったことがあります。

今もやってるかwww

単純な言い方ですが
この記事、読んでよかったな
と、おもわれるようなことを書きたいとおもっていましたし
なにか、ひまつぶし読み物でなく
ある種の気ずきや示唆をこめられたら
それがいいという思いでもいました。

ところが、
いつごろからか
何がきっかけだったか
なにか、そういうことって
自己満足の世界というか・・・
自分が楽しんでるだけ?みたいな・・・
自己追従というか

そこらへんの疑問を感じるようになったのです。

いわゆる、おたくとかわりがないというか・・・
おたくもきわめれば、すごいと思いますし
継続できれば、それもまた本物だとおもうのですが・・・。
どうも、
何か、違う。

と、おもうのです。

まあ、手相とか占いとかでもでてるのですが・・・。
いろんなことに興味をもって
人よりはいくぶんか上?のところまでいくのですが
ある程度までいくと、興味をなくす。
よくとれば、
いろんなことを吸収していけるのだけど
船頭多くして舟山に登るみたいに
目的地にたどりつけない。

と・・・。

その目的地なるものさえ、みえてないのですがwww

なにか、本来なすべきことと違うことをやっているんじゃないか?

と、いう不安感があったりして
本来するべきことはなんぞ?みたいところで
スピリチュアル系統にのめりこんだ時期もあったのですが
結局、ここもなにか違和感を感じるのです。

よく、世界(宇宙?)とつながっているという充足感というような言葉をききますが
御幣があるいいかたになるなあ
つながってどうやねん?
と、いう思いがあるのです。
結局、それも自己満足の世界でしかないというか。

チャクラのとこで少し話したかなと思いますが
ちゃんと、御霊を磨いていけば
勝手にチャクラは開くもの。
と、いうかんがえでいます。

それとおなじように
勝手に宇宙ともつながるでしょう。

で、つながったという人の話をよんでみて
だから、どうなんだって。

なんというか、
研究書やハウツーものをよんでいるような?

なにか、心がうごかないというのかなあ。

たとえていえば、
Aさんが自分の心をはなしだしてくれたときのような
そんな喜びがうかんでこないのです。

高次元とつながった。
はあ、それがどうした?
みたいなwww
(失礼な言い方でごめんにゃ)

本当に好きなら
勝手にあがっていくもの。

ふと、浮かんだ言葉ですが・・・

多くの感動をもとめすぎているだけなのかもしれませんね。

少し、考え直してみます。





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