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卑弥呼の話から・・・

憂生は北陸・福井と若狭地方にいたことがありますが、
この地方の技術は、
歴史を知るほど、ただならぬものと思えてきます。

卑弥呼については、
いろいろ、書いたことがあるので
簡単にまとめますが
邪馬台国は、環太平洋あたりか、
インド・インドネシアあたりにあると考えています。

と、いうのも、
以前、オーストラリアから南米にむけて丸木舟で航海したという記事があったのですが、
海流にのってしまうと、距離だけで計算したところより
はるかに短い日数でたどりついてしまったということがあったのです。

卑弥呼もこれであったと思うわけです。
海流にのって、と、いうよりも、
海流がよくわかっていたから
遠出ができたと考えられるのです。

そして、宇波西神社のことでもわかるように
宇が西からの波にのってやってきたというのですから
日本海側の潮流にのれば
卑弥呼も福井に簡単にやってこれたと思うのです。

そして、「けん」という織物が献上品にあったというのですが、
これは、福井の羽二重ではないかといわれていました。

つまり、福井に上陸して
「けん」を調達して献上品にしたのではないかともおもえるのです。

逆に邪馬台国に帰るときは
潮流が逆になってしまうため
あるいは、別のルートをたどったかもしれません。

潮流をしっかり調べていないので
あくまでも、仮定ですが、
たとえば、帰りは北海道のほうを迂回するとかwww

一番、矛盾にかんじるのは
帰りは陸路何日・・とか、かかれているわけですが
船をどうするのでしょう?

陸地について歩かねばならないのなら
停泊地に船をおいて
次の場所でまた船を調達するということでしょうか?
そうなると、その陸地ごとに
到着地に船と新たな出発地に船を用意しておかねばなりません。

こんなことができるでしょうか?
船をある意味、のりすてていくという考えはなかったと思うのです。

つまり、どうやっていくかという話ではなく
どの位置にあるかという
直線距離での計算で海路何日、陸路何日という言い方をしたのではないかと思えます。

実際、まっすぐ考えると
ハワイ諸島あたりになってしまうという説もあります。

そして、別の説ですが、
和歌山県にはハワイあたりの神様
ワケアが上陸したという話があります。
ワケアから「わかやま」という名前がついたというのですが
その名前由来説はさておき
ハワイあたりから、これたというのが、妙なはなしです。

仮にこれが、卑弥呼だとしたら
瀬戸内海をぬけて、
福井に上陸して
「けん」をあつめたのでしょうか?

逆に帰りのルートをここであったとするのなら
陸路説はあてはまってくるでしょうかwww

ちょっと、よくわからないと思いつつも、
ハワイあたりから、きていたという説は
邪馬台国がハワイあたりにあっても
おかしくないともおもえます。

また、邪馬台国というのは漢字から日本読みにしていますが
むこうでは、なんと発音していたのでしょう?

羅馬船のくだりで
これをかがみふねと読むことから、
文字の意味と(馬を連ねてのせてきた)
かがみ・・・あるいは恭順の印にかがみをかかげたのと
そのふたつであるのなら

邪馬台国にも
別の意味と呼び方があったかもしれません。

そして、一説では邪馬台国の台は豊だったかだというわけですから
漢字の意味をいえば
邪馬はたとえば野生馬ですね。
邪馬台国も たとえば、ジャミディ国とか発音されていたかもしれません(たとえばです)
そういう地名がほかで残っていないかなとも思います。

馬についていえば
羅馬船は、スクナヒコがのっていた船だったと記憶しています。
つまり、この時代に貴重な馬をつれてきたとかんがえられ
では、日本に馬がいなかったかといえば
愛媛あたりとか、(名前わすれてます)の岬とか
近辺の島に居たようなのです。

そして、三保岬の鳥居には
なぜか、愛媛の河野氏と同じ紋が刻まれています。

このあたりからも、愛媛の河野氏が野生馬を飼いならし
国譲りの地である三保神社・三保岬に馬をつれて
参戦?しにきたのではないかと思えます。

話がずれましたが、
邪馬台国の邪馬とは何をあらわすのか
ここも調べてみたいものです。

ぬながわひめの名前でも
奴奈宣破姫(媛)の意味合いは
ヒスイによって言い破る。
直訳気味ですが
ようは宣誓。宣告の宣ですので、ただ、言うというのとは違います。
おそらく、ヒスイの秘力で宣託などをうけて、それを告げる巫女のような存在だったのではないかと思います。
書物では天津神の系譜になり
三保神社にぬながわひめを迎えたときにでも
天の千木と夫、大国主命の地の千木をならべて
住まい?にしたか、
後に夫婦で祭られたというところでしょう。

かきかけのぬながわひめのなかで
ここは天と地がかさなりあうところ
千木がすべてをかたっている
と、いう言い方をさせますが、
後、事代主の系譜から
大和朝廷へ子女が何人もとついでいます。

現代において、天皇家の系譜から
出雲大社の神官?の元へとついでいった話がめあたらしいのですが
昔の逆がおきていますし
天皇家は出雲大社にむけての礼を欠かさず行っているという話も
真偽たしかめようがありませんが
きいたことがあります。

このあたりのことを含めると
三保神社というのは歴史的にかなり重要な位置にあると思えます。

邪馬台国の話がずれてしまいましたが
憂生は邪馬台国は日本にはない。と、考えています。

それよりも、継体天皇を輩出した
越の国。若狭の国の技術力の高さ。
若狭にいたっては、世界最古の漆器がほりだされていますし
若狭塗りなどで漆を集める技術者が新潟におおくいたとか
越の国とのかかわりも密接です。
ついでに、いうと
ぬながわひめも越の国
歴史的にも名高いヒスイの産地、糸魚川近辺とかを含む
あたり一帯を執政していたのかもしれませんね。
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