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諸刃の剣

憂生にふるさとに
なんとも、的を得た表現があります。

腹がたったり、
怒りが収まらないときに
使われる言葉で

「業が沸く」
と、いう言葉です。

スピリチュアルというか、
宗教的というか
チャクラ的?というか

このあたりで、もっとも危険なことは
「業・カルマをつくる・もつ」
と、いうことでしょう。

このためにといっていいほど、
見方や考え方。意識の転換をするために
よろこぶとか、赦すとかの
いろんな価値観で怒りや悲しみなどの負の感情を
なくしてしまおうとしているかのようでもあります。

負の感情というのは、
つみかさねれば積み重ねるほど
マイナスになっていくものなので
別の言い方では
負の連鎖という言い方をします。

師は憂生にひとつの言葉をくれました。

「喜べば・喜びが・喜びをつれて、喜びに来る」
と、いう言葉ですが
これを別の言葉に置き換えても当てはまってくると思います。

悲しめば・・であれば
怒れば・・であれば

これも、負の連鎖という言葉でも
逆の置き換えもできるでしょう。

正の連鎖だってあるはずなのです。

妙なことですが、
憂生はこんなことをいわれたことがあります。

「お前の魂はまん丸だから、お願いすれば
お願いをかなえてくれるよ」

と・・。

あまりにも、不思議な言葉でした。

まず、魂がまんまるって?
逆をいえば、まん丸じゃない人もいるということでしょう。
これについては、たとえば、いびつな人、やわらかい人、強い人と
魂にもいろいろあるようでした。

次に不思議だったのが、
お願いすれば・・・って、言葉でした。
なんだか、おかげ信仰みたいじゃないか?
と、お願いするなんて、できないなと考えたのです。

ところが・・・。

このお願いというのが、曲者というか
どういうことだったか、わかってなかったのです。

いろいろあって、だんだんわかってきたのですが、
途中、経過で
霊能力者だったか?
いわゆるサイキックだったか?
よくはわからない少年が
「俺は念じれば、人を殺すことだってできるんだ」
と、いう物騒なことをいっているのをみたことがあったのです。

その言葉が本当だとか、うそだとかいうのでなく、
憂生的には
「人を呪わば、穴ふたつ」
と、いう思いがあって、
悪いことを思えば、いずれは自分にかえってくるのになあ。
と、おもってみていたわけです。

ところが、
ある事件があって
これが、自分のみに振りかかったことなら
そうまでは怒りくるわなかったのでしょうが
友人の身に理不尽とも思える不幸なしうちがあり
憂生は知らずのうちに
「のろっていた」のです。
てめえら、みな、死んでしまえ
みたいな呪詛です。

これは、おそらくすさまじい思いだったのだと思います。
すると、しばらくもしないうちに
すぐ近くで立て続けに事故がおき
人がはねとばされたり・・・
と、いうことがおきたのです。

偶然だといわれたら、それまでですが・・・。
何人かは友人にかかわりがあった人間でした。
むごいしうちをした本人達ではなかったのですが
なんらかの「思い」があった人間ではないかと思われました。

このことから、
「願い」というのが、どういうことかわかったのです。
強く念じるというのもあるでしょうが、
意識して念じるというのでなく
我知らず、強く深く、
てめえら、みな、死んでしまえ
と、おもってしまったわけです。

内容はとんでもないことですが
形はこれも「おねがい」なのです。

その「ねがい」をかなえてしまうということになるわけです。
さいわい、死者やひどい怪我になることはなかったようですが

願ったつもりでなくても
結局、ねがってしまったことになるのだ、と、気がついたとき

「お前の魂はまん丸だから、お願いすれば
お願いをかなえてくれるよ」

の、言葉の重大さにきがついたわけです。

穴をふたつつくることになることでも、かなえてしまう。

よほど、自分の感情をコントロールしていかなければならない。

人間だからはいいわけかもしれませんが
とんでもないことを思うことは当然あるでしょう。
そのときに
「自分が何をおもったか、しっかり自覚しなければならない」
そして、
「気がついた時点で、撤回する」
「思いを変える」
と、いうことです。

おそらく、得手勝手なとり方かもしれませんが
本当にそのままでいたら、
てめえら・・を全部ころしてしまって(直接手をくだすのでなく、事故をおこすとか)いたかもしれません。
何らか、引き金になるエネルギーをおくりこんでしまったのでしょう。

それをすれば、又、自分にかえってくるのは、やむをえないとして
その人たちの家族まで不幸にして、あるいは、自分の知人や友人も知らぬところでかかわっていたら
その人も糾弾して、
思いを持ったものにもそれなりの制裁を与える。

そんなのはおかしいことです。
まず、最低でも?自分達のしたことを自覚し、反省?せずにおいて
わけのわからない状態で、たとえば事故をおこしたとして
本当の意味合いで、こちらの気がすむでしょうか?
それは、ざまあみろ、自業自得だ。というこちらの怨念でしかないわけです。

そして、もっと、考えていけば
友人がひどいめにあったというのも
たとえばですが、
友人にも落ち度があったかもしれませんし
スピ的にいえば、それをよろこべば、カルマや因縁が納所されるかもしれないわけです。
それを憂生が念力?で人殺しをしてしまったとします。
その思いの原因をつくってしまた友人もくるしむでしょう。
そんな思いにさせてしまって大変なことをひきおこさせてしまったと・・・。
新たなカルマをつくりかねないともいえます。

こんなことが、あって
以前かいたように、
憂生は
「それでもたすかってるんだ。人間の頭ではわからないだけ」
と、いう言い方で
まず「うらみ」「にくしみ」をもたさないようにとかんがえたわけです。

憎しみの心が
憎しみをつれてきて
憎しみがやってくる。

この負の連鎖になるのはまちがいないと
憂生のその経験が証明したわけです。

どうにかして、
赦す、よかったに思うようにしてもらおう。
と、
そこだけだったわけです。

よかったが
よかったをつれてくる。

それをあてこんでということでなく
悪かったの連鎖を恐れるわけでなく

人として
よりよい思いでいきていけるために

憂生は自分の不思議な力と
それがひきよせてくれたいろんなことと
その仕組みを教えてくれた師に出会えてよかったと思っています。

たぶん、しらなかったら
「俺は念力で人を殺すこともできるんだ」
と、いう少年と同じになっていたでしょう。

そういう思いをもつことを、
疑問にさえ感じない。
恥とも思わない。
そんな人間になっていたでしょうね。

「お前の魂はまん丸だから、お願いすれば
お願いをかなえてくれるよ」
それは、たとえば
銃をもつ人間に、良識と感情の統制を求められるのと同じ
それ以上に
厳しいものであり、
おかげ信仰などという簡単なものでなく

たとえていえば、諸刃の武器を抜き身で持っている、おまえなのだと
教えていた言葉だったのです。
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