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えにし

チャクラについて書かれているブログに飛んでいって
読んでいましたが、
基本的にはここ数日憂生がくっちゃべったことと
同じようなことがかいてあって
なんとなくほっとしてます。www

そういう捉え方でよかったんだなあと。

もともと、チャクラを調べに行った原因というとちょっと違うのですが
いろいろ、憂生にはわからないことが多すぎて
わかる人、わかる記事がないのかなあと見に行ったのが
最初だったと思います。

たとえば、宿根神
すくねがみとよみます。

あるとき、憂生にいろいろ教えてくるもの?がいて
誰なのかとたずねたら
なかなかいわないので
うかびを待っていたら
宿根神とうかんできて
浮かんできたとたん、
「御身大切に」との言葉を残していなくなってしまったのです。
(交信をたった?)

そこで宿根神をしらべたのですが、
当時はみつかりませんでした。
そこで、今日、宿根だけでしらべたら

前世から持っているとされる能力や素質。(仏教用語)とでました。

と、いうことは

前世から持っているとされる能力や素質をつかさどる神?ということになるでしょうか?

そんな風に、答えらしきものが見つかるときと
見つからないときがあるのですが
(あっているか、どうかは別として)

で、チャクラをしらべにいくようになったそも最初は
どこを探しても、魂(御霊)について、くわしい情報がなかったのです。
密教とかの関連にはあったのですが、
たとえば、四魂。
これは、大国主命と大物主の遭遇のときにもでてくるのですが
海中から光が現れ、大国主命の前に来て
「私はお前の和魂と奇魂(だったと・・たぶん)だ。
私を大和の三輪?(そこまで限定したか・・な)に私を祀ったら
出雲の建国に助力しよう」だったかな・・・
どういったかはちょっとうろおぼえですが、
魂は4っつにわかれているというか
4っつでひとつになっているのか?
それぞれに荒魂・幸魂・和魂・奇魂と名前があり
つかさどることもちがうようです。

こういう話は以前に別のことできいていて
4つどころでなく、もっとあるというか
とてつもなく苦しいことがあると、魂のひとつが(一部が?)ぬけでて天にかえっていったとか。
信じる信じないも自由ですが、
こんなこともきいていたので、四魂も主だった部分で領域も広いのかなあというくらいにかんがえたりしていたのです。

そして、憂生自体が
「魂が開いてる」といわれたことがあるわけです。

魂が開くと通常、狂うそうです。
けれど、修養ができていたり、よほど苦労している人などは
狂わないし、逆に、正常の状態で魂が開いてるということがあるそうです。

一種、悟りに似ていると思います。
修養を積んで悟りを開くとか
苦労の末、すいも辛いもかみわけて、苦労を苦にせず
なんて人はやはり悟りを開いてるかのごとくですから・・。

【憂生の魂(御霊)開いてるといわれたものの、修養をつんでるわけでもなく
苦労もしているわけではなかったのです。
それで、「お前は死に目にあってないか?」とたずねられたのですが、
車で事故をしたのですが
事故はたいしたことなく、病院にいくこともなくそのまま映画をみにいったという・・ww
ただ、車が半回転して進路を制御できなくなったとき
(憂生は同乗者でどういう状態になっていたかその時点ではわかっていなかったのですが)
ーあ、死んだーと思ったことがあります。
とは、言うものの、そういうアクシデントで魂が開くことはあっても
ある程度したら、再び閉じるそうです。
で、師はわざと魂をとじさせてみたらしく、
「やっぱり、開いてくる」ということをいっていました)

悟りならなんとなくわからないのでもないのですが
魂が開いてるとは、どういうことだろう。と、ぐぐったところ
そんなことを書いてるところは見つからず
あったなかで

チャクラが「開いてる」というところで、読みに行ってみたのが
最初だったわけです。

魂が開いているということはどういうことなのだろう。
前に太古の人は魂としゃべれたと書きましたが
では、太古の人の魂はひらいていたということになるのでしょうか?
でも、憂生は魂としゃべれませんwww

で、そこで教えられたのが
現代の人の魂は眠っているような状態だということでした。

普通は眠っていて、
ここからは憂生の類推ですが
魂のまわりを「気」がつつんでいて
その気によからぬ思いとか業とか
カルマ(もかな)とかが混ざりこんでしまって
魂からの信号もとどかなくなり
魂はなすすべなくねむってしまっている。
と、いうことなのでしょう。

とは、言うものの魂も息をしているそうで
妙な言い方ですが、生き物です。

眠るということ自体生き物ですがwww

つまり、開いているというのは
眠ってる、おきているということになると
開いてるのは眼(まなこ)でしょうか?

ところが、魂は自分のやることを見ている。

とも言われます。

と、なると開いてるのは、眼ではないですね。

よく、似ている言葉でいうと
覚醒かもしれません。

以前、吹き上げのことを書きましたが
魂からの湧き水が吹き上がってきそうになったという話で
このとき、修養がたりてないとおかしくなってしまう。

と、かきましたが
先にかいた、魂の周りをとりまく「気」に
よからぬ思いや業やカルマがとけこんでいたら
吹き上げのときに
「気」の中の汚れも一緒にふきあげてきて
ばあいによっては狂うということがありえるのだと思うのです。

たとえば、激しい怒りをもっていたとしたら
今までは理性でおさえていたものが
吹上でコントロールできなくなってきます。
怒りをもっていたら、怒りのままに行動し
吹上がとまるまで、怒りの行動はとまらないのですが
とんでもない行動(殺人とか)をおこしてしまってから
吹上がとまっても、もう後の祭りです。

憂生自体がそのとき
「まだ早い」と思ったのは憂生の思いなのか
別のもの(たとえば、師)なのかわからないのですが
吹上をとめようとしたものがいたのは事実で
(実際には師がとめてくれましたが)
今、人類は魂がひらいていようがいまいが
まるで、こういう吹き上げをおこしたり
魂がひらいて、そのときの業を魂がふりほどこうとでもするのか?

理性や愛情がはどめにならない事件が
いっぱいおきています。

どうして、そんなことがいけないことだと考えつけられないのかと思うより
理性や愛情がそのときに欠落してしまっている。
ただひとつの業に差配されてしまうという状態が毎日のようです。

こういう危機を察知して
スピリチュアルのかたがたは
魂をみがけといいますし
魂をみがくためには
やはり、自分の感情をコントロールして
怒りをもたないようにするとか
自分からカルマをつくらないようにしようとか
必死で説いていると思うのです。

そして、カルマや業の清算をするように
人は宿命付けられています。

その清算のために
時にものすごい苦労をさせられたり
悲しい思いをさせられたりするのです。

何でこんな苦労をしなけりゃならないの
と、おもうかもしれませんが
そう思ったら、新たに「うらみ?」という業をつくり
その業を清算しなければならなくなるカルマをつくるのです。

だから、
シルバーパーチは
苦労を喜べというのです。

自分のカルマが清算されていくのですから
喜ぶことはできるはずなのです。

また苦労を、喜ぶことで
あの苦労があったおかげでということがわかってきます。

うらみ、つらみを言えば
業が沸き
苦労があったおかげでとなれば
苦労は自分の宝になります。

この先、もしも、御霊が開いたり
吹上が起こったときでも
自分にカルマや業はなく
宝があるのですから
それが自分を守ってくれるわけです。

だからこそ、苦労を悲しみをよろこべるように
訓練しろというわけです。

今はどん底であっても
そのもがき方が大事なのです。

これがいずれ、自分の尊い宝になっていくんだということ。

憂生は単純ですから
こういいます。

こけたら、ただでおきるな。

こけたことをこけてよかったといえるほど
こけたことから学べ・・と。

誰の言葉だったかな。
人生に起きる物事に一切の無駄はない。
ちゃんと、自分の頭ではわからないもっと大きな災いとかから
逃れられるように導いてくれているのです。

けして、今の苦労は無駄にならない。
どころか、
宝になるんですよ。

なんだっけ、出展がわからぬあほたれですが

艱難辛苦、汝を玉にする。

そのとおりなのです。






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