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たどたどしく、とりとめなく

ある事件の被害者???にこう言ったことがある。
「それでも、たすかっているんだ。人間の頭じゃどうたすかってるか、わからんだけだ」
と・・・。

どうたすかっているか、わかりたいなら
たすかっていなかったほうの人生をあゆむしかないだろう。

パラレルワールドというのとは、ちがうけど
生きているという、それだけでも、十分たすかってるわけだし
あるいは、カルマ的かんがえになるとおもうけど
カルマにおしつぶされていたら、しんでいたかもしれない。
そう考えると、
なにかしら、のりこえられる、のりこえてきてるから
生きているといえる。

だから、
それでも助かってるんだ。と、いえるわけだけど・・・。

こんな抽象的な言葉から、
その人はいろいろかんがえたようで
宗教全般エトセトラでもいうけど
「のりこえられない苦難はあたえられない」
とか
「その苦難をのりこえられるような魂が宿って、この世に生をうける」
とか

業とか、因縁とか、運命とかいろいろな言い方をされるけど
見透かせる人にはわかるんだろう。

そも最初、
「おまえ(憂生)はあいつをたすけたけど、あいつは助かってよかったかどうか、憂生にはわかるまい」
と、なんともいえぬ妙な言葉をなげかけられた。

人間の浅知恵でかんがえつくことなど、しれてるけど
たとえば、のちにあいつが人殺しをするとか
そうかんがえれば、助かってよかったのか?となるだろうか?
など、いろいろと考えた末、
どうなるかわからないことを予測してもしかたがないので
「助かってよかったにする」
上のたとえで言えば、事件など起こさせないように導く
と、そこだけを強く決めた。

そして、何年かして
「助からないほうがよかった」という事件がおきて
その意味合いが具体的につかめた。
たすけるんじゃなかった、という側でなく
たすけてもらわないほうがよかった、と、いう事件で
本人の存在意義が希薄になり、
自殺願望・・・
・・・と、か・・・。

この絶望感や、はてには生まれてこなければよかった。と、自分を呪う。
この状態からどうやってひっぱりあげていけばいいか。

そんな混沌の手探りの状態をみちびいてくれたのが
自分が過去に思った
「助かってよかったにしてみせる」
だった。

最初に書いた言葉も、そのひとつだった。

今がものすごく不幸でどん底だとみえて
じつは、これで、すくわれているのだ。
と、いう言葉は実にあいまいで
説得力に欠けるものだったと思う。

ところが、
なぜかしらない。
なぜか、その言葉が本人に何らかの効き目があったようで
おそらく、その事件のプラス方向とか、
逆にたすかってるところはどこなのだろうか?
とか、見方をかえはじめたところがあったのかもしれない。

当時、憂生も空に架かる端などをかきおえていたところで
この物語も状況だけを見れば悲惨なものでしかないのだけど
被害者意識でなく、最後の最後まで自主的に敵兵を肯定していく生き様を通す主人公を描いている。

うまくいえないのだけど
心の軸をどこにもつか。

被害者として生きるか
逆に、何もかもをつつみこんでいきていくか

題材のいっぺんに、慰安婦問題もあったし
「見た目の不幸に踊らされる」という言葉を日記にも何度か書いていて
読者の方からも
空に架かる橋で「見た目の・・」という言葉がすこし解けてきたきがする。
と、いわれたところもある。

当時から、
思いの切り替え
イコール
見方を変える。
見方を変えるためにはどうするか。
「喜べる見方をする」
と、いうところで、
少女パレアナ、(ポリアンナ物語)が憂生の中で大きな指標になっていた。

この「喜べる」というところは、
おそらく、多くの物語の一番根底にあるものだと思う。
ブロー・ザーウィンド・小枝あたりも、
喜べる見方にきりかわるところでハッピーエンドを迎えている。

少女パレアナの中でもっともわかりやすいのが
片足をなくして松葉杖で歩く老人にパレアナがかける言葉だと思う。
「まぁ!!よかった!!」
である。
当然老人は怒り狂う。
なんという心無い、あざけりの言葉をかけるのだろうと・・・。
ところが、パレアナは嬉々としてつづける。
「もし、両足をなくしていたらとかんがえたら・・」
この言葉で老人の心が開けていく。
実際足の悪い惨めな自分と先で言えば悲惨な見た目に心は片足どころか
両足をなくしていたといえる。
パレアナの単純ゆえに純粋に喜ぶ言葉が、
「あ、そのとおりだ」と老人の思いの切り替えになったわけである。

たとえば、そんなふうに、
なにか見方をかえることができたら
思いも切り替わって
うまれてこなきゃよかった
というおもいから
うまれてきてよかったにかえられるのではないだろうか?

悲惨な心でいきているほうがどんなに悲惨だろう。

「ブロー・ザ・ウィンド」のなかでも
似たようなせりふがある。
いつまでも死んだ人間を思っていきてるなんて、
死んだ人間も君の中でしねてないんだ。
君が見ているのはゾンビのティオなんだ。
君もゾンビになってしまってるんだ。
みんな、君が幸せな女の子であってほしいんだ。
生きているってことは周りの人間をよろこばせることなんだ。
君がゾンビのティオをいつまでもおもって
周りの人間まで不幸にしているんだ。

自分がしあわせであることだけで、
周りの人間をよろこばすことができる?

不思議な言葉が主人公の心にしみていく。

単純に・・憂生も同じ心だと思う。

不幸な思いでいきていてほしくない。
幸せな心でいきてほしい。

ただ、それだけだった。




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