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スピリチュアルに分類すべきかと思いつつ

アメーバブログだったろうか。
前世との遭遇?で、前世の遺恨?をはらしていくということをやってらした方がいた。

この考え方は間違いではなく
むしろ、妙な言い方だが合理的だといえる。

ただ、こういう能力がない人間のほうが多くいて
前世の思いを感じ取るどころではないので、
前世の思いを昇華できないでいることが多い。

けれど、基本的には
たとえば今自分が悩んでいるとする。
たとえば、金がない。
とかww
すると、この思いと同じ思いをしたことがある前世が同調してくる。
【あるいは、前世でなく別のものの憑依(同調)ということもある】
つまり、現世の自分が悩みを解決すると
前世も一緒に悩みを解決できるため、
ことさら、同調してくるわけで、その感情は増幅されてしまう。
金がないとなやんでいて、そのうち何もかもいやになってしんでしまう。
と、いう図式の中に
たとえば、同じいきさつでなくなった前世が同調してきて
その感情をクリアしてほしくて、悪い言い方をするともろにかぶさってくる。

普通の人間はそうとはしらないので
悩みまくって最悪の結果を迎えることだってありえる。

ところが、これが、前世の思いだよとあかされると
わりにけろりとしてしまって、
あんなになやんでいたのに
金なんかないほうが気楽なとこもある。という具合に
思いがきりかわっていくことさえある。

で、それならば、前世を探っては、解決していけばいい。
と、なってきそうであるが、
憂生はそのあたりは、ちょっと、反対意見である。

前世だけならいいけど、先祖もくわわり・・ww
その数やどれだけあろうか。
過去世とむきあうのはかまわないけど
過去世とつきあっていくのはどうかとおもう。

ほっておいても、
自分の思いのなかに過去世はまざりこんでくる。

それをクリアできるような自分の思い方・感情になっていくべきで
それをあとおししていく前世も当然でてこよう。

実際、憂生も不思議な体験は多い。

たとえば、だれかもわすれたけど、ローマ法王
インノンケンティウス13世?とか(たとえば)
この名前はうかんできて、ウィキをしらべにいったのだが
ウィキのなまえのところをみただけで、
涙がぼろぼろこぼれだして、
むしろ、この人はどれだけすばらしいことをしたのだろうかと
よんでみたのだが、これといって特筆することもなかった。

むしろ、ピョートル大帝だったか
読む前から、この人は立派な方だと思わされ
読んでみて、まさにそのとおりとおもったことからしても
インノンケンティウス13世は感動する内容などひとつもかかれてなかった。

このことからしても、
おそらくだけど、前世の誰かがインノンケンティウス13世にかかわりがあったのだろう。
まさか、憂生の前世がインノンケンティウス13世ではなかろう(爆笑)

このほかにも、いろいろあって、
最終的に、アセンションなどをむかえて
人類滅亡、地球滅亡?という事態になっても、
憂生は地球に残る。
地球とともに生きる。

と、いう杞憂というか、妄想のような設定でありながら
地球とともに生きる。
と、いう決心?をしたあたりから、
スピリチュアルその他からはなれていくようになった。

こんなことからも、
前世の差配なのか、同調なのかしらないが
なにかをクリアしていったのだと思える。

こんなことからも、前世の同調は当然あろうし
なにかしら、素部分での前世をしるのは
自分の方向性をみいだせる部分もある。

わりに簡単に自分で前世がわかるのは
何をこのむかということかららしい。

それをいいだせば、
憂生は10代の頃。
とにかく弥勒菩薩がすきだった。
中宮寺のほうでなくて(頭に丸い玉を?を飾っている)
度忘れ中の寺の平たい冠のようなものを戴いてるほうの弥勒菩薩が好きで
ポスターをかざっていたくらいで・・・
とても10代のこのみとはおもえない部屋であったwww.

のちのちしらべていくと
3億7千・・年後の衆生を救うために
なんとか世界におりて(あまりよくないところ)修行しているという。

なにかしらこういう前世がいたのだとおもう。

衆生を救うためにというのはなんともえらそうないい方だが
なにかしら、人を助けたいという思いがついてまわってきたし
長じてそういうかかわりも多くあった。

ネット世界においても、不思議な体験がおおくあり
そのあたりもかかげているけど、
執筆の根本になっているところもそこにあるきがする。

白蛇抄においては
因縁を通り越すという考えをもちだしているけれど
これも、先にあげた
前世の思いを昇華させるという考え方ににているし
また、
根本的に通じるのは
「思いを救わなければ本当の救いにならない」という点にある。

誰かを助けたいというのも
あるいは前世からの思いだったのかもしれない。
そう考えると
(人を助けたいという)思いを救わなければ本当の救いにならなかったのだろう。
いくつか、助けごと?みたいなことをしてみて
最近は逆におもうようになってきてもいる。

人を助けて(助けられたとして)、本当に、それがよいことだろうか?
また、
そういう困った人?は結局自分の姿でしかなかった。と、いうのもあった。

遠隔で死ぬなという思いを送ったこともあったけど
この思いが結局、後で自分に帰ってきたとも思える。
もしも、そのとき知らん顔してたとしたら
後に自分が困ったときに、
どうせ、みんな知らん顔だと(自分の思いが帰ってきて)
絶望して死んでたかもしれない(www)

結局、場面、場面でどういう思いをもつかということになってくる。
前世の差配でというものの
自分にない思いにひっかかることもなかろうともおもう。

もともと、助けたいとか何かの役にたちたいとか
そういう思いがちょっとあったところに
前世が同調してくる。

これがいやな・悪い思いでも一緒だと思う。

自分の中になにかあるわけだから
それをかえていくことで、
前世も救われる(おおげさ)ということで
福利的構造であるとおもう。

そこを前世を救おうというのが先になってしまうと
ちょっと違うのではないかなあと思ってしまう憂生がいる。
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