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籠神社

 

神代に彦火火出見命(彦火明命の別名とも)が、籠船に乗って龍宮へいかれたという。これにより籠宮という。養老元年以前は同名が主神とされていた。以後は彦火明命が主神。

神社の由緒・由来

神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮真名井原に豊受大神をお祭りして来ましたが、その御縁故によって人皇十代祟神天皇の御代に天照大神が大和国笠縫邑からおうつりになって、之を吉佐宮(よさのみや)と申して一緒にお祭り致しました。その後天照大神は十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました。それに依って當社は元伊勢と云われております。両大神が伊勢にお遷りの後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮(このみや)と改め、元伊勢の社として、又丹後国の一之宮として朝野の祟敬を集めて来ました


主神* 彦火明命(ひこほあかりのみこと)
亦名 天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命・饒速日命、 又極秘伝に依れば、同命は山城の賀茂別雷神と異名同神であり、その御祖の大神(下 鴨)も併せ祭られているとも伝えられる。尚、彦火火出見命は、養老年間以後境内の別宮に祭られて、現今に及んでいる。彦火明命は天孫として、天祖から息津鏡・辺津鏡を賜わり、大和国及丹後・丹波地方に降臨されて、これらの地方を開発せられ、丹波国造の祖神であらせられる。


相殿*

・豊受大神(とようけのおおかみ)

・天照大神(あまてらすおおかみ)

豊受大神は御饌津神とも申され、天照大神は、あまねく萬物を化育される天日の徳のように、天下蒼生を火の徳、高い徳を以ってお恵みに なり、生命を活動させられ、皇室や日本民族の大祖神と仰がれ、御饌津神は天照大神が崇祭された大神である。

・海神(わたつみのかみ)

大元霊神の御徳を分掌せられて、航海の安全、漁業の満足等をお司どりになる。

・天水分神(あめのみくまりのかみ)

大元霊神の御徳を分掌せられて、水の徳を以って諸々の水利、水運、水道等をお司どりになる。奥宮相殿の罔象女命と共に神代以来最古の水神。


高欄上の五色 (青、黄、赤、白、黒)の座玉は、神宮御正殿以外には拝せられないもので、元伊勢宮として、又山陰道第一の大社として、諸社に越える古来の御神徳、御社格を象徴 するものであり、日本神社建築史上特に貴重なものとされている。尚、本殿は弘化二年(一八四五年)の造替で、京都府文化財指定建造物である。

御社殿は伊勢神宮とほぼ同様式の唯一神明造であって、古来、三十年毎に御造替の 制となっている。御本宮の勝男木は十本で、千木は内そぎになっていて、色々の古儀 が昔のままに伝えられている。心御柱があるが、之に就き社記に「御柱一名天御量柱 是則一氣起、天地之形、陰陽之源、万物之体也」と見えている。


昭和六十二年十月三十一日(旧暦九月九日・重陽の節句)に二千年の沈黙を破って突如発表されて世に衝撃を与えた之の二鏡は、元伊勢の祀職たる海部直の神殿の奥深くに無二の神宝として安置されて、當主から次の當主へと八十二代二千年に亘って厳重に伝世され來ったものである。日本最古の伝世鏡たる二鏡の内、邊津鏡は前漢時代、今から二〇五〇年位前のものである。
 又、
息津鏡は後漢時代で今から一九五〇年位前のものである。
そしてこの神宝はその由緒が国宝海部氏勘注系図に記載されており、又當主の代替り毎に 、口伝を以っても厳重に伝世されたものである。
 現存最古の国宝海部氏系図並びに今回発表の二千年前の伝世鏡は、當社の元伊勢たる史実を実証するものであろう。


国宝 海部氏系図

之は昭和五十一年六月に、現存する日本最古の系図として国宝に指定された。同系図は平安時代初期貞観年中に書寫された所謂祝部系図(本系図)と、江戸時代初期に書寫された勘注系図(丹波国造本記)とから成る。本系図は始祖彦火明命から平安時代初期に至る迄縦一本に、世襲した直系の當主名と在位年月だけを簡潔に記した所謂宗主系図であり、稲荷山鉄剣銘とよく似た様式で、竪系図の最も古い形を伝えたものと云われる。各當主名の上に押された二十八箇所にも及ぶ朱印は、今迄未解明であったが、昭和六十二年夏、美術印刷に秀れた便利堂の色分解に依る解析写真撮影で印影が浮かび上り、是を中世文書の権威村田正志博士が見事に解読して、「丹後國印」の文字である事が判明した。
 是に依って當系図は海部氏が私に作成したものでなく、之を作成の後に丹後國庁に提出して認知を受け、更にそれを大和朝廷に差し出した所謂本系帳の副本であり得る事が証明され、国家公認のものとしてその権威が一段と高まったのである。
 一方海部氏勘注系図は、始祖以来平安期迄の系譜が省略なく記載され、之に當主の事績を始め兄弟等の傍系に至る迄詳密な注記が付されているが、その中には他の古記録には失われている古代の貴重な伝承も含まれていると云われ、今学界の注目を浴びている。
 元伊勢の創祀以来の祀職である海部氏は神代以来血脈直系で世襲し、大化改新以前は丹波国造であったが、その後祝部となり、現宮司に至り八十二代と伝えられる。


奥宮 真名井神社

 

彦火明命が丹後の地に降臨し、真名井神社に元初の神豊受大神をお祭りされた。

真名井
豊受大神を祀るにこの地が選ばれた理由の一つは、真名井の水という御神水が湧き出ていたからである。その霊験を今に伝えているのが、この天の真名井の水である。豊受大神のお顔は藤の花で、そのみたまは天の真名井の水との秘伝がある。
 


・豊受大神(とようけのおおかみ)

亦名 天御中主神・国常立尊、その御顕現の神を倉稲魂命(稲荷大神)と申す。天御中主神は宇宙根源の大元霊神であり、五穀農耕の祖神であり、開運厄除、衣食住守護、諸業繁栄を司どられ、水の徳顕著で生命を守られる。相殿に、罔象女命、彦火火出見尊、神代五代神を祭る。 

元伊勢とは

第10代祟神天皇の時、宮中から天照大神の御神体が丹波の吉佐宮にお遷りになり、豊受大神と御一緒にお祭りされました。4年後、天照大神はここからさらに各地を回られ、次の垂仁天皇の時に伊勢の国に御鎮座になりました。そして第21代雄略天皇の時、天照大神のお告げで、豊受大神が当宮から伊勢の国にお遷りになりました。こうして伊勢の神宮が成立しました。この後、社名を籠宮と改め、天孫彦火明命を主祭神となし、元伊勢のお社として、又丹後国一之宮として朝野の祟敬を集めて来ました

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