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素盞嗚神社から

http://www.genbu.net/data/bingo/susano_title.htm

より、転写。

社伝によると、天武天皇の御宇(672~686)の創祀。
醍醐天皇の御宇(897~930)に再興されたという。

当地は、江ノ熊・江隈・疫隈などとも呼ばれていた地で、
当社は、「備後国風土記」にある「疫隈國社」である。
蘇民将来伝説の発祥の地であり、全国祇園社のもと。

北海にいた武塔神が、
南海の神の娘のもとへ通う時、日暮れてしまい、
当地で宿を求めた。
当地には、将来兄弟が居り、
弟の将来は豊かであったが、宿を与えず、
兄の蘇民将来は、貧しかったけれども、宿を貸す。
武塔神は、南海から八柱の御子を率いての帰路、
当地で、報復を行うことになるが、
蘇民将来の子孫には、腰に茅の輪を付させて目印とし、免れたという。
武塔神は、その時、「吾は速須佐雄の神なり」と名のったという。

当地が通過点だとすると、
北海は日本海、南海は瀬戸内か太平洋になる。
やはり素盞嗚尊は出雲の神なのだろうか。

ちなみに、かって境内に早苗松という三株が一所に生えた老松があり、
巨旦将来(蘇民将来)の屋敷跡だと伝えられていた。

どうも、情報が交錯しているようで/笑

茗荷峠というのがどの位置にあるか、わからないが、

海の民族は、鞆きんぺんだとすいそくする・・・。

一方、前述の神谷川は、素盞嗚神社に近い。

神谷(かや)川の茅とかんがえていいかもしれない。

いっぽう、ちがや・・・であるが、

茅の写真にもあるように、気候、場所によって、

赤くなる。

これは、血をおもわせる。

ひょっとすると、茅萱でなく、

血茅だったのではないだろうか?

もう、疫病で血だらけですよ。みたいな、めくらまし的いみあいもあったのでは?

すると、疫病のほうも、もう、死にかけてるなら、いいや。と、

感染しなかったとか/笑

まあ、こんなことをおもうのも、ひとつに、滋賀県、姉川の決戦跡地が、

血原とよばれたりとか・・。

音でかんがえたほうが正解ではないかと思うことがしばしばあるので、

スサノオは、

「ちがやをつけなさい」

と、いったのかもしれない。

それを茅(ちがや)ととったのかもしれないし、

茅萱も、茅は蘇民将来の一族だと教える(宣)草なので、

茅だと宣する、萱。

と、疫病にたいしての特別な言い方かもしれない。

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