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沼名前神社と祇園社

以前沼名前神社にスサノオが合祀されたことについて、

誰がいつごろ合祀したのか、わからない。


もしかすると、元々、スサノオが祭られていたのかもしれない。

神功皇后により、おおわだつみに祀り変えられただけかもしれない。

何故なら、おおわだつみなら、天津神の様相であるべきだろうに、

沼名前神社は国津神の様相である。

こんな内容の事を書いた。



ところが、地元の郷土研究家である方の自負出版本を読んでいたら、

かなり、はっきりしたことがかいてあったので、

抜粋してみる事にする。



沼名前神社は旧国幣小社で、

備後ではもっとも古い由緒を伝える古社の一つである。

平安時代の延喜式と言うほんの中では既に神名が見られ

海を護るわたつみの神が祭られている。


現在は明治9年スサノオを祀る祇園社と合し、

その本殿にわだつみの神を

相殿にスサノオを祭っている。


社伝によると、わだつみの神は神功皇后が三韓渡海も途次

鞆の沖で尺余の霊石が海中から湧き出したので


この石を浦にまつり、「渡守の神」として海路の平安と戦勝を祈願し

凱旋のときに、まいていた

「稜威の高鞆」を奉納されたので、

この浦を「鞆」と呼ぶようになったとの古伝が残る神社で

別名「渡守〔わたす〕神社」ともいわれる。


慶長年間に大火にあい、当時の領主

福島正則が現在の地に祇園社と並べて移したものである。



祇園社のほうは、

備後風土記に出てくる「疫隅(えすみ)の国社」といえわれ

スサノオが備後に来て当時勢力を張っていた

巨旦将来を退治し

弟の蘇民将来を助け

その子孫にいたるまで「疫病(えやみ)」を払う

蘇民将来子孫茅の輪」の伝承にもとづいて

スサノオの神徳をたたえてまつられたもので・・・

この伝説は全国的に流布し

ついには、京都祇園社の起源ともなっている。



備後風土記にも書かれているように

今も備後地方では善神の蘇民一族の証拠である

「茅(ちがや)」を輪にしたもので、悪魔払いをする。


*********

で、憂生 にいくつかの「ちかり」がある。

京都の八坂神社だったかな・・

あそこが、スサノオを祭っていたんだよな。

で、この疑問がひとつとけた。


そみんしょうらい・・・・

どこかで、きいたことがある。

こどものころだろうか?

憂生 自体、若狭近辺の人間で

京都あたりにも縁があるし・・・。


そういえば、呉線だったかな?

電車に乗ったときに

「祇園まつり」をやってる神社をみて、不思議に思ったことが在る。



そみんしょーらいは、

「いぼ、とか、おでき、をとるときのおまじない?」


そして、「茅」これは天の茅鉾?


で、「かや」と読んでいたときには判らなかったのが

「ちがや」

ようは、「おちごさん」と呼ばれる

七五三ににた行事があるんだけど、3才か5才か?


「ちがや」=「ちご」=「七五三」


そして・・・注連縄を「七五三縄」と書く場合が在る。


ちがやでこさえた縄と言う意味合いだろうけど、

これは、

すべて、スサノオに起因する?



妙に・・・「とおりゃんせ」の歌詞がきになりだした・・・。


天神さまのおふだ・・・。


この天神も、スサノオか?


ちょっと、まとまらないのは、いつものことだけど、


なにか、

スサノオ信仰はまだまだ、形をかえて伝承されてるそんな気がしてきた。


まちがいなく、大和の国のほとんどを

スサノオが掌握していたか、

あるいは、彼の功績をたたえられている。(たたら、製鉄・・・治水などなど)

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