画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

羅馬

羅馬。

どうも気になって仕方が無い。


意味を表せる同じ発音のものをチョイスしたとするなら、

やはり、降伏の条件としての鏡を舳先に掲げ

馬を連ねて船に乗せてきた。


そこで、この時代に馬がどれほど貴重であったかを

調べてみた。


ところが魏志倭人伝によると、倭の国には、「馬」が居ないのである。

じっさい、古墳から掘り出される馬の埴輪も4~5世紀のもの。

魏志倭人伝が伝えるとおり、大国主命の頃には馬はまだまだ、珍しかった。


だが、居ないというのもどうだろう?


スサノオが高天原で大暴れしたときに斑馬の皮を剥いで・・とある。


この馬の存在のせいと、日本には馬が居なかったと言う説が重なった部分で

スサノオが朝鮮あたりからの渡来神であるとか、韃靼民族の王であったとか、言われると思う。

実際問題、たとえば、神社でよく見られる。

神馬・・・。

日本において、最初の頃の馬はこういう役割の方が大きかったんじゃないだろうか?

と、いうことは、それほど、馬の絶対数が少なく、貴重だった。


その貴重な馬を連ねて、献上品に出来るスクナヒコは

はたして、どこから、馬を連れてきたのだろう。


朝鮮半島?

いや・・。

スクナヒコをして、少数民族だったと考えたら朝鮮半島からではない。


では・・・。

馬がいたと思われるところ。原種が残っている土地。

そこから、つれてきた?

壱岐?宮崎?愛媛?(ほかにもあるが)

いずれも、出雲から船でこれる。


やや?


愛媛?


そうだ。

あの美穂崎灯台のうしろに、愛媛の河野氏の紋が刻まれた鳥居を見つけたんだ。


鳥居に一緒に掲げられるのも不思議に思えたが

もしも、スクナヒコが河野の出身なら?

馬を連ねてくることも可能だし

後に、大国主命を支えた存在として鳥居に刻まれてもおかしくない?


だが・・・。


河野氏の土地に根付いているのは

ニギハヤヒなのだ。


すると?


むしろ・・・。


ニギハヤヒ=スクナヒコ


単純に因幡海岸と美穂崎に寄航した話が

ニギハヤヒとスクナヒコの二つの話になった?


いや、無理やり河野氏の紋をむすびつけることがおかしいのか?

関連記事

コメント

非公開コメント
 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
6326位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2306位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。