画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

集落の発生が地方豪族の基になるか?


最も古い定住集落が発見されているのが九州南部で、およそ11000年前に季節的な定住が始まり、10000年ほど前に通年の定住も開始されたと推測されている。

歴史を齧ってみる1のほうで、九州、日向にウガヤフキアエズ王朝があったのではないか?

と、いう荒唐無稽を呈したわけだけど、

現天皇歴は2670年と記録されてもいる。

その2670年以前に豪族あるいは、部族の存在があることは、古事記・日本書紀でもうかがえることである。

ただ、前政権については、抹消あるいは、わざと記録しない・編纂された年代のせいもあって

定かでないなど、前政権?の詳細がわからない。

そんな中で浮上してくるのが、ウガヤフキアエズ王朝で、物によっては3000年ちかく続いた王朝であるといわれる。

3000年続いたはちょっと、信憑性を欠くが

当初は小さな集落であっても、定住により人口が増え、当然「長」とよばれる存在や

巫に準ずる存在が発生してきたと思う。

そういう集落が日本のあちこちに出現し、日本において、九州あたりは、とくに気候的にも恵まれ大きな集落ができていったと考えられる。

まるでアメリカの州のように日本各地に小政権(と、いえるかな?)があったと考える。

その細かい部分をいいだすと、いずれのちに例えばログでいえば「越の国」「あらはばき文明」「大和朝廷」「出雲族」などなどに発展していくと思う。

古事記などのなかで、簡単に国譲り、天孫降臨と、表されている言葉のうしろは

他所の政権の掌握、他所部族の統治でしかないだろう。

そのときに、九州地方にウガヤフキアエズ王朝があったとみなしていくと、

古事記や日本書紀に大和朝廷?がウガヤ王朝を滅ぼした余波?(証拠?関連?)が

みえてくる気がする。

もちろん、王朝と命名したのは後の人間で、本人たちは

せいぜい、ウガヤフキアエズ酋長?をいただく、部族くらいにしか考えていなかっただろう。

そういうウガヤフキアエズ王朝からの伝承みたいなものも

継承?強奪?している部分も多くあるのではないだろうか?

例えば、アマテラス(日の神)信仰なども元々はウガヤフキアエズ王朝の考え方で

後世につたわっていくうちに、大和朝廷の始祖の位置におきかえあれてしまったのかもしれない。

こういう風に考えると、古事記・日本書紀などのなかのエピソードもなにかを暗喩していると取れる。

実際ウガヤフキアエズという名前が系図のなかにあり、

このあと神武天皇が輩出されてくるわけであるが、その前に、山幸彦・海幸彦のおおきな戦いもある。

これが、実はウガヤフキアエズ王朝との決戦をあらわしているのではないか?

とか、

スサノオの高天原での暴挙についても、(ひょっとすると。スサノオもウガヤフキアエズ王朝の血統?か、あるいは、元々の出雲族の酋長?だったか?)

ウガヤフキアエズ王朝の滅亡のときの顛末をにおわしているのかもしれない。

こんなことを考える物だから、ちょいと、縄文時代の集落・生活・(食物・信仰などなど)を

しらべて、、歴史的に酋長があらわれてもおかしくない年代を歴齧参考文献2にいれてみた。

このほか、スサノオがウガヤフキアエズ王朝に決戦?をしかけたとも、

内乱をおこしたとも考えられる文献にもおめにかかっているので、

古代史のなぞ部分は年代考査が出来ない部分で

かなり密度がたかいものが、すっぽりぬけて・・・。

「私は・・・・・・・でした。」になっているとおもう。

関連記事

コメント

非公開コメント
 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
6735位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2484位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。