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八幡神社。やはた(やわた)と、呼ぶか

八幡神社。
これをはちまんと呼ぶか、
やはた(やわた)と、呼ぶか
で、ちょっと、意味が違ってくる。

八幡の八は「多く」の意味と解していくとはたが多い。
はたと、いえばやはり、秦氏だろう。

で、ここで、八幡神が出てくる。
秦氏が祭る神に八幡神が有る。

出雲系でもなく
大和系でもない
秦氏の氏神といっていいかもしれない。

そこで、
八幡菩薩のなぞが解ける気がする。

帰化人とも介せられる、物部氏の意見が取り入られず、仏教擁護が確立したのは、大化の改新のころだったか?

ちなみに、現在、日本の神社でおおいのが、稲荷神社。それについで八幡神社なのであるが、

この神社の多さを想うと、逆に秦氏の勢力分布図が見えてくる。

稲荷神社の本来はとようけのかみ?だったかな?
食物をつかさどる神だったように覚えている。

秦氏の氏神となれば、大和政権の尊位を損なわせる存在と相成る。

いっぽうで、稲荷はその名の通り、稲の神であるともいえる。

大和朝廷からみれば、
稲荷は、ほっておいてもかまわない存在であるが、
神として、名乗っている八幡神ではちょっと、まずい。
祖神として、大和の神とならんでしまうから。

それでかな?

と、想う。

八幡神に八幡大菩薩の号をあたえることで、仏の位置に追いやる。
言い方をかえれば、神社でなく
個人(秦氏)の仏壇的位置に八幡神を追いやる。

秦氏からのクレームも回避できる。

大和朝廷において
先祖は天津神であり、
あとの神々は国津神でしかないのだけど、それでも、勢力を増してくる秦氏の
信奉する神が、秦氏の勢力の象徴になって、世の中に伸しだしてくるのが、
一番、面倒なことだったろう。

仏教と神道を切り離すことも難しく
八幡神を仏道を守る神(八幡大菩薩)に仕立て上げることで、仏教を取り入れた大和朝廷の傘下に入ったとみなされる。
このすり替え心理を使い、
八幡神に菩薩の号を与えられたとも考えられる。

そう考えれば
神社と寺の奇妙な融合に納得がいく。

まあ、他にもいろいろな説はあるが、
秦氏の勢力基地をそのまま
八幡市と考えると
津々浦々に秦氏の勢力が伸びていったことがわかる。
滋賀県あたりにも秦壮町だったかの地名があるし、秦を機織の機と考えれば
衣食住の一番最初の衣の部分で、国内に多くの技術を与えていった存在でもありえる。
また、一説には
八幡市のそのまま、
鋳物などの技術も秦氏のものでありえたと考えれば、一族という意味でなく
技術としての秦氏の浸透は、国に蔓延している。

簡単に祭神をかえればよいという
簡単なものでもない。

また、うろ覚えなれど
憂生のいう八幡神社にはすさのおが祭られていたとも想う。
と、なると、鋳物鋳造など、すさのおとの融合(合祀)もありえる。

秦氏とすさのお。
また、一方、物部氏という
高等技術者集団の存在。

妙なものも感じる。
物部氏のなか、橋の名前を持つ子孫は
二つに分類される。
じっさい、橋を作る高等技術者。
という衣食住の住にかかわる存在。
もうひとつの橋は神との橋渡しという祭祀的(あるいは、巫的存在)として、
民間の中に土着していった可能性がある。

秦氏はあるいは、八幡神社として、伝承され、
物部氏は、民衆の中に溶け込んでいったのかもしれない。

もう少し、物部氏の信奉について、
調べてみないとわからないが
三輪神社など、巫的存在として祭神のなかにうまく溶け込んでいったようにも、みえる。

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