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九頭竜と石神


この前、やまたのおろちは九頭竜ではないかということで、

紛々の推測をかかげたわけで、

平行に並んだ九頭竜なら八又のおろちになるというところであるが、

越の国からやまたのおろちがくる。

という記述を発見し、やまたのおろち=九頭竜であると、きめつめたのである。

問題の九頭竜であるが、これも、九竜省や九紋竜史進の名前などから

中国的であると思う。

と、いうことで、話を一端、おえたわけである。

ところが、まだ、考えることがある。

石神とのかかわりである。

石神はいそ神でもあるとおもうのだが、この話は又べつにして、

石神というと、御神体が石に象徴され

石・岩・・という大きなものから、ひいては、山そのものの

三輪大神をおもうのである。

三輪大神はもちろん、蛇神であるわけで、

海中から姿を現し三輪の地にまつれといったこともあり、

三輪におさまっているわけだけど、

この大物主も石神であるとかんがえると、

九頭竜川であり、若狭近辺に類型が見られる。

若狭の常神半島は、その名前からして、いかにも神在りの名前であるが

この半島のつけねあたりに塩坂越という地名があり、

これを、「しゃくし」と読む。

石神はしゃくじんであり、しゃくじであり、しゃくしである。

渡来してきた民族を象徴するかのようであり、

実際、帰化人・・帰化神を祭る神社も日本海側に多く

大陸との行きかいもあったものとうかがわせる。

そして、この石神一族は、帰化していくようで、

福井の地名に、丹生の名前が見られる。

石神一族が、若狭湾あたりを闊歩し

九頭竜川の治水などに一役買ったと考えると

その民族を称し、九頭竜族であり、これが、出雲のほうまで

進出していったのが、前述の「越の国からやまたのおろちがくる。」になる。

こう考えるとやまたのおろち退治は九頭竜族(ひいては、石神族)征伐であろう。

スサノオに征伐された九頭竜族はやがて・・・。

↓の如くにあいなり、出雲族の傘下となる。

古事記』によれば、大国主神とともに国造りを行っていた少彦名神常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光輝いてやってくる神様が表れ、大和国三輪山に自分を祭るよう希望した。大国主神が「どなたですか?」と聞くと「我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり」と答えたという。『日本書紀』の一書では大国主神の別名としており、大神神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として祀ったとある。

そして、この中で奇妙な科白が↓であるが・・・。

「我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり」

これも、石神渡来人説とスサノオ渡来人説を考えるとなんとなく合点する。

つまるところ、同胞であるという考え方である。

また、一方でこの言葉をそのままにうけとめるから、妙なことになるとも思う。

実際、魂の問題については一考するところがあり、

四魂説については、似たような体験があるので、意味合いは事実であると思うが

この場合、魂を「意志」と考えるとわかりやすいのではないのだろうか?

スサノオの傘下にはいろうと決めた九頭竜族は

「私は貴方と同じ幸魂(同じ目的を実現する意志)をもち、

貴方と同じ奇魂(目的を実現させる(奇跡)意志)をもっている」

と、表明するわけである。

そして、大和国三輪あたりを自分の統治下として認めろといったか?

その辺りを出雲族の配下として、制圧していくということか?

このあたりで、大物主(物部氏)、またも、にぎはやひの存在がでてくるのであるが、

スサノオが制圧したのも、にぎはやひであるかもしれない。

つまるところ、

やまたのおろちは、にぎはやひ族であると考えると

傘下にはいったにぎはやひが

美穂崎神社のことしろぬしの元にはせ参じる記述があるのもうなづける。

美穂崎神社の一件は大和朝廷側(アマテラス族)の国譲りをさす。

直属の出雲族のピンチであり、またも、存続の危機とあいなったにぎはやひが、

美穂崎神社、ことしろぬしの元に駆けつけるのもうなづける。

追記:

憂生は伝承の中に事実がうずもれていると考えています。

先日もダビデの星云々しましたが、

情報が氾濫しすぎてなにもかもこじつけすぎているという気がします。

その時代にかわらず、あったもの。

それに対する、人間心理。感情。というものから、紐解いていかないと、と、思います。

北極星に対しても、同じように、古代?の人々は何を感じたか。

月や日のように位置を変えない普遍性をみて、

北極星への信仰がうまれたのではないかとか、

その北極星への信仰が篭目紋になり、

正義を通すというか、真理の一義により、

篭目紋は籠の役割同様、

物事をきちんと所定の位置に収める。

ひいてはゆるがせてはいけない。

真義としての象徴であったかもしれないとか、

紋などのように、こういう民衆の裏心理の象徴の部分を考えてみたいと思っています。

一つの物事に感じる人間心理というものに

さして、違いはなく、時代の新旧にあまり関らないことだと思います。

ただ、籠をたとえに上げましたが、

今の時代、籠というものが、生活に密着してないせいで、

どういう人間心理をもつだろうか?ということなどはみえにくくなっていて、

★紋だけをみて、ダビデの星だなどとひっつけて考えてしまうのが

現代人だとも思います。

そのあたりをできるだけ、当時の人間心理にちかづいた発想で

ひもといていかないとみえてこないのではないのだろうかと思ったりしています。

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