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卑弥呼と航海術を考え合わせる

卑弥呼について、九州説や畿内説があるわけですが、

憂生はこの元の文献をみますと、

この二つの説とも、曲解のうえになりたっていると思うわけです。

簡単に言えば、九州説は陸路一月だったか、海路一月を

一日の間違い。

畿内説は方向が南で東だ・・とか・・・。

で、元の文献を考えると、場所的にはもっと、九州のはるか南の方ということになり、

海路計算の一日をどう計算したかわからないことですが、

近くても、沖縄とか?インド沖?ハワイ近辺?

で、ここにかかわってくるのが、海流っていう奴です。

この間、TVでやってたのが、シドニーからブラジルまで漂流したひとがいて、

それが、3週間足らずで到着したというわけです。

これが、ちゃんとした船で、海流の向きがあっていたら、1週間もかからず、

到着したかもしれない。

逆を言えば、ブラジルからシドニーに舟でむかったら、

1週間でいけるかな?

で、これが卑弥呼の所在地に対しても言えるのではないかと思うわけです。

え~~、うろおぼえですが、

対馬海流だったかな?これが、北にむかってながれてるわけですから、

あのあたりの海流は南に向かう時はたして、どうだろうか?

憂生の九州、ウガヤフキアエズ王朝説、を考えると、

九州の日向から福井,若狭の日向にながれついた

宇波西神社の祭神はウガヤフキアエズということになるのだが、

これも海流にのれば楽に流れ着いたのではないかと思う。

その逆のルートをたどり、九州からさらにまだ南下する。

この海流が黒潮になるか?

また、それにさからっていくと考えられる。

果たして、海流に逆らいながらの一月とはどれぐらいの距離だろう?

おまけを言えば、海流に進路を変えられながらということだって考えられる。

もっと、近代にいたってはインドをめざして、アメリカにいっちまったってこともあるわけで・・/笑

九州から海路一月・・この計算方法がどうであるか、

一月の間の天候や風向きによっても、距離数は違ってくる。

どこと、特定することはできないが、逆に卑弥呼側から

中国大陸にむかうのは、かなり早かったと考えれば、

日本の要所、要所で、珍品?や貴重品をかきあつめて、

献上品にすることも可能だったろう。

このことが、卑弥呼の足跡になり、日本に卑弥呼がいたという

考え方になってしまってるのではないのだろうか?

千木のルーツやピラミッド信仰を考えても

アンコールワットやタイの影響が日本にはいってきているとも考えられるし、

スリランカの仏教徒繁栄を考えても、

このルートから、中国に仏教が伝わっていたとも見える。

案外、卑弥呼はスリランカとか?

シバ(神)の女王だったりとか?

まあ、確証の無いことを言っても仕方が無いが

唯一、物的証拠である「文献」を

曲げて、解釈しないと成り立たない九州説も畿内説も

なんとな~~~く、しっくりこない。

航海術という事を考えれば、

かなり早いうちに外海へ漕ぎ出せる船があったと考えられるし

スリランカからエジプトへ30000人もの仏教徒が移動していたとかいうのなら、

これも、紀元前3世紀頃にすでにする欄かではかなりの造船術あるいは、航海術があったとかんがえてさしつかえあるまい。

日本においても、それは同じだし、前述のシドニーのアボリジニが南アメリカにむかったのも

船だろうし、外海向けの船の壁画もオーストラリアには残っている。

航海術、あるいは、造船技術はかなりの水準があったと考えれば

いっそう、卑弥呼は日本の人物ではないとかんがえるほうが、

しっくりする。


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