画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

やっぱり?

引き寄せの法則が嫌いだと思う理由を探ってみようと思う。


基本的には、憂生も

「良い風に思いを切り替える」

と、いうところをめざしているわけで、

過去、たとえば、少女パレアナや昭和天皇のエピソードをかかげて、

「喜ぶ」「喜ぶ見方に変える」という価値転換をはかることを基調にしていたし、

今も根本は変わらない。


つまり、引き寄せの法則となんら、かわらないということになろうか?


で、あるのに、なぜ、引き寄せの法則を嫌うかである。


確かに見方を変えるということで、

状況まで好転するのは事実であるが、


憂生がやってることは、

順序が逆なのだと思う。



多く、引き寄せの法則を推奨するひとは、

「自分の状態が思い方一つでよくなった」

と、仰るのではないかと思う。


ある意味ゴールは同じにみえるかもしれない。



ところが、そのうしろに「こんな不幸な状況がいやだ」

と、いうのがある。


ここが、違うのだと思う。


不幸な状況を作り出しているのも自分のわけで、

それは、「思い」が具象化したものである。


と、なると、不幸な状況というのは

自分に「良くない思い方」があることをしらせてくれているわけである。


憂生は、この「良くない思い方」はなんであるかを探るために

不幸な状況は一種、先生のようなものであると思う。


つまり、自分によくない思い方がある以上、それをかえていくしかない。


で、あるのに、不幸な状況になった、「自分の思い方」「取り組み方」を詮議せず、

あるいは、不幸な状況という先生を嫌い、否定して、

こてさきだけの「幸せ」をもとめようとするというところにみうけられる推奨の仕方なわけだ。


さらに、つまり。


「苦労」「不幸」を良くないものだとうけとめる思い方に疑問を感じる。


実際、死にたくなるような苦しいこともあったが、

何故、そのようになっていくか、

自分の思いのどこに原因があったかをつきつめてかんがえていく。


そして、そこがわかると、逆に

「苦労」「不幸」はそれをおしえてくれたのだと思える。


もし、引き寄せで思い方だけを切り替えたら

根本的な自分の思いの立替ができなかった。

根の部分を気がつかずにおわったんじゃないかと思う。


つまり、ハウツーで、なんとかなったものでなく

鍛え上げられた自分ができる。


たしかに、さっと、思いを切り替えられる。

これが、一番良いことだと思う。

だが、憂生は根性、ひねまがってるんだろう。


自分で実感し、実用になっていかないときがすまない。


ほいほいと、楽になろう。

ほいほいと幸せをひきよせよう。

苦労や不幸はとんでもない。


こういう風にいってるようにみえて、しかたなく、

教義に依存した状態で、この先もすごしていき、

自分という器がひとつも本物にならないようにみえてしかたがない。


どこかでも、書いたが、

安易に手をかすような神はろくでもない。

神は人間に苦労をさせて、

拠りに拠りかけた「ひと」にしたいと思っている。


だから、言い方を帰れば「困難」「苦労」こそが、神からの賜り物といっていいだろう。


そういう風に眼をかけられているのに、

苦労はいやだ。

いやなことばかりおきる。

と、いう。


それを起こしているのはじぶんでありながら、

そこを詮議せず、

楽にハウツーの「幸せになれる」にのっかる。


これって、憂生に言わせれば、

憑き物とかわりがないじゃないか?


自分でない、かりそめのもので、きずきあげていく。

見た目は確かに幸せだろうと思う。

神さまが、願いごとを叶えてくれてよろこんでるのとおなじだろう?


憂生なら疑うね。


そんなふうに願い事をかなえてもらえるほど(褒美をもらえる?)の、自分の出来具合かどうか。


そんなものが、来るわけ無い。


だから、引き寄せが悪いというのでなく、

「自分の思い方のどこがまずかったんだろう」と自分を省みなくなるということが

嫌なんだと思う。


誰でもかれでも、さっさと思いをきりかえて、幸せになって、

本当の意味で「本物」になれるなら、みんな引き寄せてがんばればいいだろうし、

憂生もさっさと、思いをきりかえてしまえば、

たいそうな徳人になれるかもしれない。


まあ、とにかく、

「幸せになりたい」をあてこんだ思いでのハウツーは順序が逆。


一生懸命、自分の芥を始末していくようにすれば、

勝手にしあわせになれるというか、

自分の中から、芥がなくなっていくだけでも

充分に幸せなわけだ。


で、その結果論を先にえさのようにちらつかされて、

そこにくいついていく。

というほど、不幸や苦労にめげてしまってるほうが、

本当の不幸ではないかとも思えて、


「幸せを引き寄せる」なんて言葉が逆に甘い麻薬のようにしかみえないという

憂生って、ひねくれものか?


あ?


やっぱり?

関連記事

コメント

非公開コメント
 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
9084位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
3264位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。