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継体天皇・・1

聖徳太子とすさのおと大国主命とにぎはやひあたりを、重点的に調べている?うちに

継体天皇に行き当たってしまった。

聖徳太子の不雑な家系?や推古天皇の摂政になったあたりのいきさつをしらべていくうちに、

継体天皇の血筋として、いろいろな天皇が浮上してくる。

だが、継体天皇は養子であったという入り婿説と、三輪王朝(イリ王朝)との転換期として、浮上してきた天皇という説と様相がずいぶん違った解釈にであった。

まず、継体天皇について、こちらがひどくこだわってしまうのは、子供のころ、足羽山で継体天皇・・もしくは、その関連の石棺を見たせいもある。また、滋賀県息吹山に継体天皇像が建立されていたと思う。

そして、いくつかの疑問が出てくる。

なぜ、近江と越前との双方にまたがって継体天皇を祭るものがあるのか?

そして、越の国の豪族の統治者が、なぜ、天皇になれたのか?

卓越した技術という説もさることながら、それだけで、地方の豪族が天皇に成れるわけがない。

ところが、継体天皇は天皇になるときに、刀と鏡だったかな?を大和朝廷から、戴冠式?のときにわたされているというのである。

前述の大国主命関連の三保崎神社において、もろたぶね神事というのがあることをちらりとかいたが、この船のへさきや艫に鏡玉刀などをかかげ降伏したしるしにするという文献が過去歴史に見られる。

このもろたぶね神事は国ゆずりというパターンの降伏の行事と考えられ、この神宝にあたるものをさしだすということは、にぎはやひでもみられ、簡単に考えれば、「降伏」のしるしではないか?

入り婿という形をとりながら、継体天皇の戴冠式の様相は大和朝廷側の降伏とも受け取れる。

こう考えると、越の国の技術の高さが大和朝廷を圧倒し、大和朝廷は政権を継体天皇にゆずった。と、思える。継体天皇がそのまま天皇におさまったのは、ひとつに大和朝廷の勢力が確立していたからとも考えられる。

で、はなしがあとさきするが、この技術より先に、なぜ、近江と越前に継体天皇がまつられるか?

どうも、父親が近江・・・母親が九頭竜川付近の豪族のむすめ。

継体天皇の父親が早死にして、継体天皇は母親側の里で育てられた。

これが、ひとつに両方で祭られる原因であろうが・・・。

継体天皇が越の国にきたことが、また、天皇になれる素地をつくることになるのではないだろうか?

まず、何度も書いたが九頭竜川という名前からかんがえても、この川はなかなかの暴れ川ではなかったろうか?

その九頭竜川を治水していく技術が母親側の豪族が持っていた。

継体天皇に在位したのちもいくつかの治水土木工事をおこなっていたようで、

都も川の近くを選んでいる。

この川の近くを選ぶ。治水技術、日本海側、国ゆずりのもろた(船)神事などをかんがえても、継体天皇は造船技術や航海術にもひいでていたと考えられる。

そして、越の国の技術。

これが、想像以上に秀でたものとして、今に受け継がれている気がして、いくつか、今に残るものとの互換性?を考えてみたいと思っている。

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