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皇紀2670年


地元の八幡神社には、宮司が居ない。

と、いうことで、別の場所の宮司が兼任すると言う妙な事態になっているのであるが、

常日頃・・・・・。

いや、祭りのときだけお世話になってるのもなんだから、

祭りの踊り保存会のいっぱで、宮司の本拠地?に大払いにいってきたのであるが・・・・。


そのときに神社暦という小冊子をいただいてきた。


家に帰り、表紙をみると、二つの神社の名前が書いてある。


ひとつは、八幡神社。


もうひとつは、出雲日御碕大神宮・・・・。


日御碕大神宮といえば、スサノオだろう。


これで、多少なり納得した。

地元の八幡神社には、スサノオが祭られている。


同じ神を祭っているという事で、

宮司は兼任を受けたのだろう。


もちろん、これは、人間様の事情。


八幡神社は八幡市の名前から類推しても、もとは、九州・・・。

総本山は宇佐八幡か?


祇園社のことはこの前少しウィキをはりつけたけど、

やはり、九州地方から、スサノオの発祥があるきがしてくる。


九州といえば、憂生 は、日向あたりのに前王朝があったと考えている。


ウガヤフキアエズ王朝が九州、日向にあったのではないかというのも、

前述しているので省くが

このウガヤフキアエズというなぞの王朝、あるいは、王・・。


これは、じつは、スサノオではないかとも考えている。


スサノオという人物は古事記や日本書紀などにより、かなり装飾(湾曲?)されてしまっているが

この人物は、由緒正しき、天孫にあたる人物だったのではないのだろうか?


そう、別名がいっぱいある大国主命のごとく・・・。


このスサノオを実はニギハヤヒではないのだろうかとも思っている。


何時だったか、ウガヤフキアエズ王朝が72代もあったとしたら、

古代史的に考えて縄文以前に、王朝があることになりおかしいと指摘されたことがあるんだけど、

憂生 は王朝という形態が大和朝廷的な日本統一の国家としてあったとは、考えていないし

マヤ文明のごとく・・高度な知識を持っていても滅び去ったように、

小規模な国家とはいえない、村落に毛が生えそろった程度の王朝は大和朝廷にあっという間につぶされたと考えても可笑しくない。

王朝72代もひとり20年在位したと考えると、1500年近い年数になるが、

実際、過度期の大和朝廷の在位の期間を考えると、かなり、短い。

平均寿命が50歳もなかったろう太古において、20年も在位できるとも思えない。

仮に平均で10年として720年。


スサノオが高天原で暴れた時期を仮に1世紀ごろと考えて

その前に700~800年もの王朝が九州にありえただろうか?


と、いうことになるのだけど・・・・・。


そこで、基の話小冊子にもどる。

この表紙に・・・

皇紀2670年・・と、書かれている。


天皇歴としては、2670年だという。


歴史と照らし合わせると、全然おかしい。


むしろ、ウガヤ王朝から皇紀を数えていると考えられる。


と、なると、古事記や日本書紀の編纂時を考えても

1000年ほど前の事実?を大和朝廷の都合のよいようにかいたとも、

実際、今のように、まともな記録方法もない昔

交通手段もまともでない時期に

各地の情報がとんでもない同時進行で伝えられ

それを推理しながら書いたと考えれば、スサノオの時代がばらばらになってしまう事も納得できる。


2670年・・・。


日本の紀元節と同じだったか、調べなおさなければいけないが、

実際、キリストが活躍した1世紀前後頃に日本が、それなりの「王朝文明」をもってないと

考えるのもおかしなもので、


環状列石のことを考えても、南太平洋からの文化を選び取らずに

太陰暦を引っ張った日本に

何らかの集落があり、王朝が存在したと考えても可笑しくない。


ちょっと、まだまだ、材料不足なんだけど・・・。


意外と身近なところに伝承という痕跡があるものだと

感激している。

まだ、頭の中がまとまっていないのだけど、

天皇紀を考えている。


初代天皇である神武天皇は紀元前660年2月11日に即位したということで、

天皇紀は2660年という事になっているし、この2月11日は建国記念日になっているわけである。


だが、この紀元前660年という時期に即位したというのは、710年頃の日本書紀の編纂で

辛酉の年に大きな改革などなどが起きるという中国の思想?を基にして、紀元前660年の即位ということになっていると思う。


710年の日本書紀の編纂ではたして、どこまでの歴史が伝えられているだろう?


確かな証拠として残っているものだけをかんがえていくしかないわけだけど、

710年ごろの情報収集、伝承において、どこまで、時代をさかのぼれるだろうか?


現代を考えてみれば、科学の発展や遺跡調査など、いろいろなノウハウがあるわけだけど、

710年の頃・・・。

せいぜい200年?もさかのぼれればよいところじゃないのか?


そして、箸墓古墳を考える。


この古墳の建造されたのが、250年ごろ。

伝承としては第7代孝霊天皇の皇女、やまとととひももそ姫の墓ではないかとか、

卑弥呼の墓ではないか?

と、いわれているのだけど、

第7代天皇が250年ごろだったとかんがえると、

当然、初代神武天皇が、紀元前660年の即位がなりたってこない。



7代天皇が250年ごろと考えると

おまけして、1代~6代までの天皇の在位年数が仮に50年あったとしても

紀元前50年がせいぜいということになる。


ところが、天皇紀は2660年と詠うわけだ。


30代天皇から40代天皇の在位期間をしらべると、

せいぜい、ひとり、10~15年というかなり短い物になる。

政変や病気いろいろな事情を考えると、在位50年というのもじつに妙な気がする。

これもおまけして、30年とすると、初代は70年ごろに即位したということになってくる。


と、なると、約700年のさばよみがあるということになるのだが、

ここで、でてくるのが、

橿原神宮。


ここで、神武天皇が紀元前660年に即位したというのが日本書紀の記述になるのだが

この橿原神宮の発掘調査が行われていて

ここに集落跡があり、その年代特定が紀元前2600年プラスマイナス200年であるという。


俗にいわれる縄文時代ということになるのだが・・・・。


このあたりで、思うところは、村落があったということはすでに

「長」になるものがいたということであり、

それが、いわゆる天皇、あるいは王朝の始祖になっていったということになろう。

畿内、橿原において、村落。王朝の萌芽があったとするのなら、

この時期に気候条件の整った九州地方において、もっと大きな村落。王朝が出現していたと考えても差し支えないのではないのだろうか?


いわゆるウガヤフキアエズ王朝が九州にあった。


もともとの天皇(王朝)の発祥は九州、高千穂であり、

のちに畿内の勢力がウガヤフキアエズ王朝を滅ぼしてしまった。


だが、ルーツとして考えた時、畿内の縄文人も九州からの別れだったと考えたら

発祥の地としての高千穂を抹消するわけにいかず、

ウガヤフキアエズ王朝を抹消していく日本書紀の記述に相成る。


ウガヤ王朝の抹消により、消えてしまった紀元をうめあわせるために、

神武天皇の即位を紀元前660年にかきかえたと考えると

どうしても、ウガヤフキアエズ王朝はあったと考えたくなる。

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