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独立不羈 (どくりつふき)

独立不羈 (どくりつふき)とは、他からの束縛を全く受けないこと。他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うこと。
「不羈」は、自由奔放で束縛しえないこと。または才知が人並はずれてすぐれていて、常規では律しきれないこと。

ユカタン半島のユカタンが、

「おまえはなにをいってるのか、さっぱりわからない」

と、いう意味だったらしいが、

カザフスタンというのが、独立不羈 (どくりつふき)の部族・国家とあったので、

その意味をしらべたのが、そういうことだったんだけど・・。

元々はマヤをみていた。

そこにユカタン半島の名前をみつけた。

ユカタン半島のまわりの土地が地震かなにかで

埋没して、ユカタン半島になってしまったということなんだけど、

マヤの遺跡が多い場所で、これが、海になった部分にも多くあっただろう。

マヤはスペインに滅ぼされたとか、焼畑農耕のため、国土が消失したとか、

いろいろな説があるんだけど、

ギリシャだったかな?

あの繁栄をきずいた国も、結局、緑をなくしたことによって、

砂漠化現象とか、それに類するものがおきて

たとえば、その結果、渇水とか?

マヤ文明は大きな湧水から発展してきている。

歴史の教科書をみても、大きな川の近辺で文明が発祥しているわけだけど、

基本的には、水。

それも、川でなければいけない。

当然だと思うが、海水(塩水)では、生活はなりたたない。

と、いうより、作物、緑がなりたたない。

ギリシャにしろ、マヤにしろ、緑をなくしてしまったことが

崩壊に繋がったと思う。

湧水文化というのは、緑をそこまで、保持できるものではない。

自分たちの生活だけをささえるに充分な程度しかないものだろうが、

それでも、その自然の恵みを循環させているうちはよかったのだろうけど、

水を生み出し、保水する緑をなくしさってしまったことが

国家を崩壊させるもとになってしまった。

これが、不思議で仕方が無い。

ギリシャの哲学にしろ、マヤの知識にしろ

あの「賢さ」を考えたら、緑をなくせば、崩壊するということに気がつかない。

のが、不思議で仕方が無い。

日本人というのは、こういうことを思うと

「森」「緑」・・などの自然の恵みに感謝してきた民族だと思う。

いかに水が大切か、いかに緑が大切か、

肌身にしみていたからこそ、

「感謝の念」をつちかってきた。

井戸をとってもそうだけど、日本人は

わが身を労して、井戸を掘った。

(昨今、企業が地下水をくみあげすぎるという

我田引水行為による地盤沈下も問題になっているが)

山の上の高い城のなかでさえ、井戸があるという摩訶不思議な技術力をゆうするわけで、

まあ、こういう知恵というものが、あるわけだけど、

日本人のすばらしいところは

湧水や川の恩恵にあずかるばかりでなく、

自分で掘り起こすということだろう。

借り物の文化ではないわけだ。

一人一人が文化を有している。

そして、この一人一人が

自然という大きな懐の中に居る。

川の水にしろ、湖にしろ、湧水にしろ

これら、すべてが、「緑」に基をなす。

昔、日本のど真ん中の山脈がなくなったら、

日本は広くなってよいだろう。

日本海側だけ降雪にみまわれるという

気象もかわるんじゃないかと思った事がある。

浅知恵だった。

あの山脈、山々の緑が空気を生み、空気を浄化し、

空気中への水分の発散、水分の保有、酸性雨だって、浄化して

(まるで、ナウシカの砂漠の地下のように)

根で土をおさえ、土をとおった水が綺麗な地下水にかわり・・・

文明をほろぼすのは、

こういう自然のサイクルをくるわせたときにおきるんだろう。

そして、どうしようもない浄化のために、ユカタンの土地は海に沈んだ。

そのおかげで、きっと、なにかが変わったんだと思う。

自然は自然治癒を行う。

自然の温度が高くなれば

氷がとけだし温度を下げようとする。

地球という大きな自然がやることにまちがいはない。

地球が、そういう自然治癒をおこなわなきゃならない環境変化を

作り出していることが判らず

てのうちようがなくなって、文明が崩壊して、気がつく。

今も木をうっぱらって、国土が壊滅しつつある国がある。

やはり、焼畑農業にたよる。

おそらく、自分たちだけの口をうるおす生産だったら、

自然だって、自然の一員である人間の生活くらいなんとかしてくれるだろう。

ところが、必要以上に伐採し、わが金にかえる。

植林という観念がない。

リリースするという観念がない。

ととろの中の歌を思う。

「誰かがこっそり、木の実、うずめて~~」

この世代を継ぐという思い。

柿の木から柿のみをもいでも、

いくつかはわざとのこしておく。

自分に必要以上の利をえたら、

その分の柿の実をのこし、

「こっそり、木の実をうずめておく」

これが、「不羈」または才知が人並はずれてすぐれていて、常規では律しきれないこと。

常軌で律しきれない自然の叡智がはまる。

それが、「こっそり、木の実をうずめておく」ってこと。

「自分で井戸を掘ろうって思うこと」

そんなことを考え付かない国家・文明がほろびていった。

***********

追記:

これも1年以上前にかいたものであるが、まさに、今回の地震を考えさせられる。

電気という人工物によって、生活をささえてしまうという怖さといって良いのだろうか。

「日本(世界も)は、一辺どおり、昔の生活に戻った方がよい」

と、いう提言を思い出す。

自然から、必要なぶんだけを戴く。

エネルギーの法則を考えても、取った分だけは、取り返されるというか、

不足した分はどこかで歪みを産む。

我田引水的にとってばかりの生活。

その引水方法に「無茶・無理」があることにきがつかない。

分をこえてしまうというのだろうか。

その「分」をこえた部分へのより戻しは大きい。

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