画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鬼と白蛇

神道家のネッ友が憂生の中に入っていったことは以前、かきました。

憂生はブログをはじめた当初から、HAKUJYA(白蛇)というホームネームをつかっていました。

これは、自分が白蛇抄という物語を書いていたことに由来します。

そして、神道家が、二度目に憂生の中にもぐってくれたとき

今度は、「白蛇と鬼」がいるといいだしたのです。

正直、物語の登場人物?だったので、

憂生の思いにふれたのではないかと思うだけでした。

が、

物語の中の言葉が憂生にとって「理」になっているときがついたとき

いや、物語の登場人物ではなく、

逆に、憂生の中に「白蛇と鬼」がいたから

ああいう物語で「理」をこめさせられたのではないかと思うようになったわけです。

それで、

逆に白蛇とはなんぞや、

鬼とはなんぞや。

と、かんがえていったわけです。

単純にうらみや怒りの具象化だとはおもえなかったのですね。

ひとつには、目があけていられなくなるような金色の光というのが、

体内にあったということをかんがえても

うらみや怒りというものが、同居?できるとはかんがえがたかったわけです。

また、この神道家はどういう修行をしたのか。

霊については「餓鬼」にみえるようなのです。

あまりにも高度がたかすぎて、

霊的なものは「餓鬼」にみえるようです。

これも、霊を人間の姿としてとらえるタイプのネッ友との比較です。

同じものを見たとき、

神道家は「餓鬼」と表現しました。

憂生のことを心配して二人の霊がきてるよと、その正体もいいあてた

人間としてみるタイプの人がきたあと

神道家は「餓鬼が二匹おるぞ」と。

他にもあったのですが、割愛して・・。

つまるところ、見えようがちがうわけです。

ところが、今回は憂生の中にはいってもらってのことだったので

神道家しかわかってないわけです。

もうひとりの人がみたら、またちがってみえたかもしれないのですが、

(はいれたかどうかはわかりませんが)

不動明王と話しをする方だったので、わかったかもしれません。

調子をくずしていたので、

コンタクトしないままおわってしまったのです。

それで、自分でいろいろ、しらべだしたわけです。

これと、先にかいたきりもみするような腹の痛みがあったとき、

地神の石碑があったので、

これかもしれないとその正体?も調べてみようとおもったわけです。

これは、結局、石神とつながり、みじゃくし(蛇石神)から、結局大物主にたどりついてしまったのです。

そこで、蛇のほうをしらべていきました。

ヒポクラテスの杖?だとか、アダムとイブの蛇だとか、世界地図上の蛇だとか、

いろいろあったわけですが・・・。

結局、古事記の世界がひとつに神の働きの表記だとかんがえたとき、

蛇は大物主だと思えたのです。

この蛇めはwww

ときおり、誰かから状態をつたえられていました。

「とぐろをまいておるぞ」

「かまくびをもたげておる」

と、いう具合でこの蛇のイメージは白い卵のような丸い玉をまきこんで、

護っているようすでうかびました。

そして、鬼ですが、これは、不動明王とか、金剛武人とか、仁王とかのような

イメージがおきるのです。

そして、憂生の不調のとき、

剣を闇されたわけです。

これが、八幡神社からだと思ったのは、

使いをよこしてあるから。と、つたえられたことによります。

すぐ横で、巣を作ってみまもっておる。

と、いわれたわけです。

はあ????

と、思っていたら、次の日

庭でおふくろがおおさわぎしていて

いってみたら、

庭の木に鳩が巣をつくっていたのだが

ぜんぜんきがつかなかったところに

蛇があがっていって、鳩があばれたので

巣があることに気がついたというのです。

鳩ねえ・・・。

それだけでおわっていたのですが、

また

ーおまえはよっぽどつらくて

おまえの御霊の一部がわしのところににげてきたので

かくまっておいたのだー

そのお礼はどうしたらいいのだろうとおもっていたら

ー20日後くらいに掃除してくれたらいいー

え?どこを、どうやって?

と、思っていたら、町内で神社の掃除にいくというのが

20日後にはいってきて

ああ、これかと思っていったのが、

八幡神社。

そこで、神輿のあるところの掃除になって、

掃除をしにいったら

神輿の文様(かざり)の中に鳩が描かれている。

八幡神社の使いは鳩なんですね。

これで、

使いをよこしてあるから。

すぐ横で、巣を作ってみまもっておる。

と、いうのが、鳩だとわかったので、

あの剣は

八幡神社からのもので、

八幡神社に祀られているのは、スサノオですね。

根の国をおさめよといわれたスサノオは

時に閻魔にもなろうと書いたおぼえがあります。

察するに、憂生の中の鬼は、スサノオのようなものではないかとおもうわけです。

魂を清めていく働き。

こう考えれば、スサノオがいてもおかしくないことだと思うわけです。

結局、

白蛇抄の中でかいた八代神は自分のことを閻魔とも呼ばれるといっていますが、

また、阿吽の刻をつかさどる存在でもあります。

魂を清めて統括する大元。

は、たとえば、人の生まれ変わりなどのときに

人の死のとき、をも統括していくのですから

統括のため、ずっと、魂のそばにいて、見守る(見張る)ということをします。

そして、その情報(閻魔帳ですな)で生後、死後のばしょをもさだめていける。

まあ、生後については、白蛇が知恵の働きをつかさどるのかもしれません。

知恵は(生きていくための術)なのですから。

長くなりましたが、

憂生は自分の中の鬼と白蛇についてはそういう風に結論してみました。

関連記事

コメント

非公開コメント
 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
6326位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2306位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。