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極論であるが・・

なんとも、暗澹・・。


その気分は、小説分野にもスピリチュアル分野にも感じる。


小説を読む側というほうが正解かもしれない。


中身がからっぽだとはいわないが、

とるにたらない、心にのこらない。

感動できればいい。面白ければいい。刹那主義をかんじる。


感動できるものが、とるにたらないとはおかしいというかもしれない。

だが、この感動させられるものを次々よんで、

かわいそうだとか、すごいだとか、よかったとか・・。

思うことを楽しんでいるのを娯楽という。


極論過ぎると思うが、

書き手側の立場でいえば、

涙してまで読んでくれても、それでおわりで、

次の感動作品をさがしまくる。

自分の作品は感動生産道具か?

誰かにとってかわられる娯楽志向。


消耗品でしかないのなら、

感動の後始末のティッシュペーパーと大差がない。


その場限りの娯楽、あるいは、自慰行為。

快感追従でしかない。


そして、そのような作品のほうが、金になるし、読まれる。


はいてすてるほど湧き出してくる作家が、

出版社の消耗品にされていると気が付くときはあるかもしれないが

まさか、読み手が消耗品にしているとは気が付かないと思う。


売れ筋の作品をかきたい。

受ける作品をかきたい。


こういうふうにいう人がいた。


なんだろうね。

世に出たいというか、メジャーになりたいってことだろう。


そして、かきあげた1冊は

心にものこらず(代替が必要ということはそういうことだろう)

けっきょく、とるにたらないものになり、

金とステータスだけがてにはいる。


有名になどならなくていい。

ほとんどよまれなくていい。


その1冊を読み手が自分の宝珠にしてくれる。

示唆を含むからこそ、必要な1冊になりえる。


ショーペンハウエルは「真理」という。


自分でつかんだ真理をかきこむ。

真理がなにである、どういうことかを、かきあらわしていく。


以前にもかいたけど、

ブロー・ザ・ウィンドウの中の

「思われていることすら喜べない自分」この裏は

「思われていることこそ、ありがたい」

この「真理」にきがついた人が

閉じこもった世界から自分自身をひっぱりだしていくことに成功した。


もちろん、ひっぱりだしていったのは、

彼女自身でしかない。


が、1冊の本が人生をも一変させる。


彼女にとって必要な1冊でしかなく、

ほかの人にとっては、ただの娯楽小説でしかないかもしれない。



ただ、真理をかきこんでいくか、いかないか。


売れ筋になることを先にねらうあまり、

「こめるもの」がうすくなり

消耗品になるか


たとえ、読む人がなくても

「こめるもの」を濃くし

たったひとりでいい、心に住む1冊になるか。


多くの人が、出版という形でなくても、作品を発表できる場所がネットだろう。


自己満足だけのために書いてる憂生みたいなのもいれば

読まれたくてかいてる人、書きたくて書いてる人

さまざまだろうけど、

自分の作品を愛する思いはかわるまい。


瑣末な快感主義に自分の作品をティッシュペーパーの如くあつかわれたいか


ひとかけらでも真理のこもる作品をかこうとするか、


読まれる数も、ステータスも

文壇にみとめられるものでも書かない限り

雲泥の差としかいえない。


どっちをめざすか、



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