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創作談義のつもり・・・

憂生の作品の書き方に

多大なる影響をあたえたのは、

第一に司馬遼太郎だとおもう。


とっくの昔に死んでしまった人たちの行動の裏に

どんな考えやどんな思いがあったか。

それが本当かどうかもわかりはしないわけだけど

ああ、そういう思いなのか。

ああ、そういう考えだったんだ。

と、思えてしまう。


それをまねてるというか、

そういう風にかきたいとおもうようになった。


もちろん、そんな文才はない。


だから、説明するのにくどくどしい心理描写とか、

別の視点からみた心理とか・・。


愛してると告げたほうの告げずに置けなかった心理をかけば、

当然、告げられたほうの心理も書く。

みたいな、別視点。


次にでてくるのが、形が変わった場合はどうなるか。

で、対比させる。


嫌いと告げたほうの告げずに置けなかった心理をかけば、

当然、告げられたほうの心理も書く。

みたいな、別視点。


立ち居地を変換させてとらえる。


たとえば、宮本武蔵をかいたら、

佐々木小次郎を書く。


まあ、そんな風にどんどんひろがっていってしまうもんで

SO2二次創作も発表している(20作)以外にも10編くらいはかいた。


そして、次に影響をうけたのが、山本周五郎だとおもう。


これは作風というか・・・。


憂生の作品の登場人物は、基本、登場人物は「大事なことにきがついていく」

周五郎のテーマと根底といっていいか。

真摯にいきる人間像とそれをみつめる周五郎のいわゆる人情。


憂生の登場人物への人情?は、

たとえ、間違った方向にあゆんでいっても気が付く。気付かせる。

気が付いた事実が自分をうちのめしたとしても

気がつける方が幸せだと思う。気がつけてこそというべきか。

そういう人情のかけかたというところか。


おおかたが、こういうパターンだと思う。



次に影響をうけたのが、倉橋留美子と大江健三郎と杉本苑子。

文体とスタイルにあこがれた。

そして、文字の韻とか、テンポとか。

よんでいて、心地よいのは、耳が読むからだとおもう。


おもしろいもので、これは、司馬遼太郎がそうだったと思うが

音読すると、非常に心地よい。

好みもあるとおもうが、司馬作品はかつかつときれあがったテンポがあって、

こむつかしい内容を頭にいれてくれる作用があった。


アマチュアでも非常に文章が上手な人がいるが、その作品を

音読すると、いまひとつ、頭にはいってこない。

文章自体はうまいのに、リズムがなく

ちぎれ、ちぎれの雲をつかむような・・。


これで、憂生はこのリズム感と文字の音を少しはきにするようになった。

ぬながわ姫から、少し抜粋


*一声うめいてにぎはやひは両手で顔をおおった。

約束を護ったとわかるとは、おおなもちがその目でみれるという意である。

その目でみれるということは、まなかにうめられているのはおおなもちの目が在る所。

すなわち、首である。*

うまくできてるかわからないけど、

るの韻がくりかえされていく。

これがテンポにつながり、たぶん、音律がよいとおもう。


いや、手前味噌か・・・/笑


ところが、説明がうまくできないと文章がくずれ、

テンポもリズムもなくなってしまう。


くどくどしく、なるだけで・・。


しょぼん・・・。



そして、表現。


これは大江だな。

彼の初期作品の独特のムード。

文章で、ムードが構築されるものなのだとしった。


杉本苑子の描写力。


司馬遼太郎がときおり、みせる、ウィットのある表現。

包帯だらけの男は、唇くらいしか元の肌をみせていない。

こんな状態だったとおもう。これを海鼠のようだ。みたいに表現するのだが、

いいえて妙。


ぐちゃぐちゃ、説明してもしきれないようなことごとを端的にきりとってしまう。


情景もうかんできて、笑えてしまうからなお頭にはいってくる。


こういうのをなんとかしたいとおもった。


蟷螂から抜粋


政勝は東の空を見あげた。

山の端に白く冴えた寒天の押し菓子のような月が見える。

それを見ると、政勝は多少ほっとした。

闇にまぎれても方向は月を頼りにできる。


寒天の押し菓子・・・をしらんと話にならんが。

ちょっと、司馬さんを倣ってみた。


あ、いいね。この表現。みたいなのも、読ませていく伝手になる。

なんとか、ものにしたく、あちこちで、試行はしてる。

成功してるかどうかはわからんが、

工夫したつもりの本人には、これいいのではないかと思えるときもある。


しかし、初期の作品だとか、最近書いた作品とか。

じゃあ、最近かいたほうが格段腕があがってるかというとそうじゃない。


単純に、のってかいてるほうが良いきがする。

持論であるが

うまくかけないときは小学生の作文でいい。(うまい子もいるけどね~~)

とにかく、書いて完成させることがさき。

上手に書くなんてのは、後からでも推敲できるわけだし(と、いいつつ推敲しない人だけど/うそつき憂生か===)

まず、完成させる。あるいは先にすすむ。

ところがのってかいてるときほど、小学生の作文でおぎなうことはなく

かんがえもしないのに、ぽんぽん、文章がとびだしてくる。

逆に考え考えかいてるほうが、うまくかけないことがおおくなり

勢いがない文章がさらにブレーキをかける。

よく一字一句にこだわってか、書いてる途中でも類義語辞典とかひく人いるけど

器用な人だとおもう。

憂生がそんなことしたら、何書こうとしてたかわすれてしまうし

書く勢いがそげてしまう。

タブン、文章もスムースにながれてない。

自分の持ってる語彙が少ないのはネックかもしれないが

瞬時に韻律やリズムにあうものを選択する。

それが、いったん、文章からはなれて辞典などしらべていたら、

韻律やリズムからも離れ、単語の意味や表現にとらわれてしまい

韻律やリズムにあわない単語を置いてしまわないのかとおもう。

多くの人は音読でもしない限り

耳で読むということを意識しないだろうけど。

でも、タイプでいうと、

文章を目で読む人と

耳でも読む人とがいるみたいだ。


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