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天津神と国津神

ちょっと、自分をまとめてみるためにかく。


以前の記事で

「憂生のたましいにはせめて、天津神じゃないとなあ」

って、いわれたことが謎だった。

と、かきました。


この言葉を謎だとおぼえてるくらいですから

当然、考えました(考えてもわからないでしょうが)


まず、そもそも、国津神と天津神とはなんだ?

です。


国津神は病をなおしたり、失物をさがしあてたり

いわゆる、人助けをするわけです。


これにつかれたときは、確かに、多少の先をよみ、

何時何分にどこそこになになにがある。

とか、

知人の顔をみたとき、

ーあなた、明日たいへんだねーとか、

(なにがたいへんなのか、具体的にはさっぱりわからないのですが)

ぽんぽん、物をいいだし、あてていくわけです。


で、この力を自分がすげ~~~などとおもったら

うけいれてしまったことになり、

国津神に魂ごとつかわれてしまうことになるんだとおもいます。


ところが、その人の言葉であかされていることを事実とするなら

憂生の魂は国津神につかわれるような魂じゃないということになります。


すると、せめて、天津神という言葉が疑問になります。


その正体より、なぜ、天津神ならいいんだろう?と、いうことです。


再三、いっている言葉ですが、それだって、憑依でしょ?


ところが、さるところである文書をみつけました。


ー最初は国津神が使いまわそうとして入ってきたが、

この魂は自分ではつかいきれない(おおきすぎる?)とでていってしまい

次に天津神がはいってきて、よりまわしてくれた(鍛えてくれたということでしょうか)今は魂そのものだけであるー

こんな内容でした。


そこで、天津神とはいったいなんぞや?というふりだしにもどるわけですが・・・。

古事記によれば、天の神様というのは

え~~と、国常立とか、最高神である天御中主とかだとおもわれます。


アマテラスとか、つくよみ(月読)とかスサノオとか・・

は、神さまといっても天の神様じゃなくて、

人間にとっての神様という位置にいるとおもうわけです。


って、これじゃあああ、さっぱり、わけわかんねえべ!!


で、考えるというか、こじつけます。


一般に歴史でかんがえると、

国津神は地方豪族

天津神は高天原族(大和朝廷族?)になるとおもいますが

**大胆にきりわけすぎでしょうか?***


これに千木をあてはめます。

神社の屋根にのっかってるぺけぽんの形のやつです。

このぺけぽんの切り口が水平になってるのと、

垂直になっているのとがあります。


ウィキでしらべても、男神・女神のちがいといわれているが

理由は定かじゃないとかかれています。


で、憂生はこれを調べていました。

物語、ぬながわひめのあたりでも千木が登場しますが

この神社(美穂神社)から、謎がとけていきました。


天津神が水平。

国津神が垂直。


一見、これがすべてあてはまるように思えたのです。


例外がみあたらず、あちこち探しました。

すると、ありました。

日御碕神社です。

伊勢神宮はアマテラスを祀っていると思います。

ここは水平の千木です。

日御碕はスサノオをまつっています。

ここも水平の千木です。


ところが、この日御碕神社に後年、アマテラスを祀る神社がたてられます。

ところが、千木は垂直です。


後年にたてられたせいでしょうか?

だとしても、

伊勢神宮にまつられるほどのアマテラスに国津神の千木はおかしなことです。


またも振り出しにもどってしまい、

千木のルーツをたどることになりました。

どうも、水平の千木というのは、日本独特のもののようなのです。

(また、しらべたら、ふりだしかもしれません)

仮定がなりたつかどうかはいくつもの仮定をだして

ひとつずつつぶしていくのがよいのだとおもいますが、

憂生のちゃらりんぽらりんの頭脳では

いくつもの仮定なぞかんがえつきません。

そこで、仮定をそのまま類推していくことにしました。


垂直のものと水平のものはどういう違いがあるのだろう。


日本人がわざわざ、水平のものをつくった意味はなんだろう?

そういうときほど、ヒントをくれる人があらわれるものでして

「水平は天の意をうける。垂直は横(横からの侵略とか)への守護」

もう、おおだすかりなわけです。

天の意(命(令))をうけるのが水平の千木なら

日御碕のスサノオの水平(天津神)の千木も

守護する意味が垂直の千木なら

アマテラスの垂直(国津神)の千木も

両方ともつじつまがあうのです。


つまり、天意をうけたほうが、水平(天津神)の千木

天意をうけたものを護る状態になったアマテラスが垂直(国津神)の千木

こうなります。


では、天意。

日御碕においては、

天からスサノオに

「夜の日本をまもりなさい」


伊勢神宮においては

天からアマテラスに

「昼の日本をまもりなさい」


天命をうけたほうが天津神の千木をかかげるわけです。


ですから、原初的な神、水の神とか・・。

自然そのものともいう神は

「日本に水を供給しなさい(とかあ?)」で

千木が水平になってつのではないのでしょうか?


これをこの地方を護ってください的守護につかう場合が

垂直になってしまうかもとおもったりしたわけです。

は~~~。ながくなってますね。


毎度!どうも!(と、ごまかして・・)


話元にもどします。


それで、魂のほうでの国津神と天津神ですね。


国津神:うせものをさがしたり、病気をなおしたり、いわゆる、人助け

イコール人を守護していく存在と考えます。


すると、、天津神:天の意をおろしてくる存在。あるいは、天の意をうけた存在。

こういうことになります。


天の意というところで、でてきましたが、

天の意は個人の病気をなおしたりするという対個人でなく

日本の昼(夜)をまもれ。と、いうように

国や自然?ようなでかい相手のようです。


もちろん、そんなものを普通の人間があいてできるわけがありません。

が、かんたんにいってしまっていいものかどうかわかりませんが

自分の不徳から生じたものを解決してあげてる(うせものさがしとか?

場合によっては自業自得の物事)国津神がやっていることは

天の意とはいえないと思うのです。


たとえば、立場をかえてみて、

国のためにいろいろ動いてる人で

私利私欲のない人といえば、天皇でしょう。

この人のところに「私の財布がなくなったのですが、さがしてください」

なんて、いえません。

国の代表という言い方はおかしいですが、

たとえば被災地に応援にいけないものからいえば、

天皇陛下がああやって慰問してくださるおかげで

こちらの心のつっかえがとれるわけです。

むこうの人をはげまし、じつは力になれない人間の心(きがかり)も

掬い取ってくれるわけです。

こういうのが、天意にかなった存在ということでしょう。

私(個人)だけを助けるという小さな力ではないわけです。

こういう意味合いで天意ということをかんがえると

せめて、天津神という、せめてがせめてどころのさわぎじゃない。

ものすごくむずかしい、あるいは、無理難題としかいいようのないことだと

かいていて、きがつきだしました。


でも、なんらかの形でそういうふうによりまわされていくのかもしれません。


魂には使命があるといわれます。

その使命をはたしきると

天命がはまってくるそうです。


現象の元は自分にあり、怪奇現象とか、霊とかひっぱってしまうのも

自分にひっぱってしまう元(霊とおなじような思い)があるせいなのだとかいたことがありますが、

国津神がときに不徳(自業自得)でしかないものごとを助けるというのであれば

憂生に自分のせいでしかない物事をひとのせいにしたり、ひとをあてこんだりしてしまう、思いがあったということになります。

そこからして、省みてやりかえていかなきゃいけない。


せめて天津神という言葉は

そういう意味だったのかもしれませんね。

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