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吹き上げ

あちこち、見にいきすぎてわからなくなってしまった。


ま、誰であるかは問題じゃない。


憂生とおなじく、


「受けてしまう」体質

「拾ってしまう」体質


と、いうこと。



どうもね、ここらへん、変えなきゃいかんというか。


良くないなって思う。


自分がそうであるのに、人のことをしのごの言うより

自分をどうにかしろというところなんだけど。



ただ、憂生の場合は、一般の(一般・・というのも変だな)

一般の「受けてしまう」体質と少し違うところがある。



チャクラとか、最後には覚醒というか、

頭上チャクラと一体化するみたいなのを

覚醒するというのかわからないが、

よく覚醒するという言い方をする。


何らかの修行をして、覚醒まで持っていくというところなんだけど、


これは、無理やり、道を作ってしまうってことなんだとおもう。


で、憂生の覚醒というのは、


自分でも意識できないところにある。


通常、人間の魂は目をとじている。

(目があるのかといわれても困る。)


これを起こそうと修行とかするんだと思うけど

ほかの人がいう覚醒の意味合いが憂生にはわからない。



で、人間ができてない人の魂が目をあけたらどうなるか?


狂う。死のうとする。暴れる。


と、いう3っのパターンくらいにわかれるらしい。



それでも、ものすごく苦労した(修行じゃない)人などの中には

狂う。死のうとする。暴れる。

と、いうことなしに、魂が目をさます状態になってる人がいるらしい。



もうひとつ、死に目あってるとかも、目をさまさせることがあるらしいのだけど

これは、一時的なもので、またしばらくすると閉じるらしい。


(らしいという不確定なものいいでもうしわけないんだけど)


で、憂生自体が、「魂が目をさましている」状態で、

逆に死に目にあったことがあるか?

と、たずねられたことがある。


苦労して・・という人間だったら、人間ができてるから、

変なものに憑依されたりせんわけだから

当然、憂生は苦労の果てではない。


ましてやそれをつげられたのは20歳そこそこ。

苦労の果ての「人生修養」や「人間修行」のはてでもない。


何か死に目にあった場合での目覚めならすぐ閉じるというのは、

その人が「わざと憂生の魂の目をとじさせたけど、やっぱり、開く」

と、いったことから、類推したことなんだけど、

なぜか、わからないけど、

魂自体が覚醒?しているということのようだった。


で、通常の覚醒というのは、

魂とコンタクト?(相互じゃないとおもう)できるとこまで

道をつけていくことだと思うけど

実際、魂自体が覚醒してないため、

かわりのものがはいりこんだりして、

いわゆる、お伝えをしてくれるわけだけど

これが、時によくない。


その魂をのっとろうというか、

差配していこうとする。


使おうとするというかな。


多くのスピリチュアラーはこの段階にいる。


魂は覚醒してないのに

魂に通じる道がひらけている。


で、憂生はこの逆ということになるのかな。


魂は覚醒してるのに

魂に通じる道が開けてない。


ならば、いわゆる、修行をしたらいいじゃないかと思われるかもしれない。


だが、一度、憂生は道が通じていきかけたことがある。

修行もない状態で道が通じかけた。


吹き上げといっていいだろうか。

腹の底からなにかがあがってくる。


自分でもわかったから、

憂生が一心に念じたことは

(憂生じゃないかもしれないが)

「まだ、早い。まだ早い。待ってくれ」

だった。


吹き上げが頭までのぼってくるかと思ったとき

潮をひくようにそれが収まっていった。


そして、

「その人」のところにいくと

ー水があがってきたから、石をひとつのせておいた。ー

と、いう。


実際吹き上がったらどうなっていたかは分からない。


ただ、「石を載せた」の意味は分かる。


吹き上げてくる水の上に大きな岩をおく図を想像してほしい。

岩を乗せられた水は噴出すことができなくなるが、

出口を求めて、岩の下あたりにしみだしてくる。


これが、いずれ、出口を大きく侵食し

岩をその下にできた空洞におとしこむ。

すると、出口がおおきく開口することになるが、

そのときには水は通路が大きくなっているから

ゆっくりとあふれだすようになる。


水道の細い蛇口から水が噴出してくるのと

お風呂の足し湯で風呂桶からお湯があふれるのとの違いににている。


では、なぜ細い通路で吹き上げたらいけないか。


通路や底にたまった小石や芥ごと混ぜ込んだ泥水(いわゆる業とか)が一気にあがってきてしまう。


ところがゆっくりあふれてくるほどの太い通路

まあ、小さな池(湧き水)を想像してもらう。

そこからゆっくり水があふれてきたら

小石や芥は下にしずんだままでいれる。あふれてくるのも綺麗な水しかない。


憂生自体が小石や芥をもってなかったら、

噴出してもよかったのかもしれないが

まだまだ、自分の業も因縁も宿命も人生さえもまたもに

通りこしていない。


無理な相談というところだろう。


そういうことがあって、いずれ、岩がごとりと下におちて

ま清水がとうとうとあふれ出してくることがあるのかもしれないと思う。


それができなければできないで自然。

できているようになっていても、気が付かない。/笑


チャクラの話によくにているとおもわぬでもない。


第1チャクラだったか、もっと、根本的な生きるための欲をつかさどるチャクラかな。

このチャクラが暴走すると(うまくいえん)ものすごいエネルギーがわきだしてきてそれをコントロールできないだったかな。


頭上チャクラだけが先走ってもいかん。


人間性と精神と魂とこういうものがトータルバランスにならなきゃいかんのだとおもう。


そして、その姿は変な神さまとコンタクトするのでもなく

普通のちょっと人柄の良い人でときおりちょっと怖い。

ときに、本当のこと言ってつねってくれる。


こういうのじゃないかとおもっている。


で、最初の話だな。


乗られる

うけてしまう。


ここの原因がどこからくるものかわからないけど

たとえば憂生みたいな状況だったとしたら

ほかのものでの(霊能力とか・・なんだっけ、レイキ?ヒーリング?)

治療(治療というのもおかしいな)やへたな修行とか?

これはやめたほうがいいと思う。


じゃあ、どうすればいいか。


自分には魂というすごい味方がいるということを

自覚していくことかな。

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