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霊能力?

昨日はある?霊能力者のブログにいってきました。

元々は「宿命とは?」ってな、検索をかけたのですが・・・。

憂生自体は霊能力者ではなく、まあ、手相でもでてきはじめたソロモンの環

あるいは、直感線、もしくは、神秘十字、はたまた、奉仕十字あるいは、聖職紋という・・

こういう元々の自分の素材?と、

御霊が開いているということと、

多分ですが、前世に霊能力者のような方が居たのではないかと思います。

こういう部分で、自身は、見えるわけでも、霊能力のようななにかがはっきりわかるというものでもなく、「なんとなくわかることがある」という程度のものです。

で、その霊能力者のかたは、いろいろ、勉強、修行をされているわけですが、

そのつぶやき?を読んでいますと、

ああ、憂生の考え方でいいんだなと思う事が多々ありました。

例えば、憂生が、憑依され、神道家が察知して、はらってくれたわけですが・・。

この憑依した方が、後々考えると亡くなったAさんではないかと思えることが度重なったわけです。

そのときに、ふと、

「払われても、霊の思いは消滅せず、ある種の遺恨としてのこっているのではないか?」

と、思ったわけです。

大事なのは、「思いを救う/だいそれた言い方ですが」なわけで、これは、自著「白蛇抄」の中でも陰陽師、澄明の悟りのわけですが、ようは、そこではないのかな?

と、いうことで、

Aさんに対して「思ってくれてありがとう」という思いを送ったわけです。

そして、先の日記にもかきましたが、

「元がなければ、関わることはない」

「目の前におきることはすべて自分に元がある」

と、いう考えをあてはめていけば、いわゆる、霊障というものも、

「自分に元があるわけ」で、

ここをなおさず、霊だけを払っても、また別の霊がつく。

前にも書いた事があるかもしれませんが、地下道の階段にサンダルがぬぎすてられていて、

それがなんでだ?と、気になった人がいらっしゃったわけです、

その写真をみると、憂生には残像思念のようなものが、うかんできて、

「富士山にいきたい」

と、いうものでした。

気になったという本人にたずねてみると、簡単に言えば

「富士山にのぼりたい」と、思っていた(何度か登っているとか)というものがあったわけです。

つまり、その「本人」側の「元」と霊?の波長が合ったわけです。

これは、簡単なことですが、もし、本人側に

「腹が立つ」があり、霊側もおなじものを持っていた時、

波長が合えば、波が増幅され、場合によっては、暴れだすとか?

こう言う場合も考えられるわけです。

ですから、その霊を払うということをやっても、別の霊がよってくるわけで、

もっと、いえば、払われることがわかっていて?来るわけですから、

より強力な霊がくるかもしれません。

そんなことを考えると、沸いてでてくる霊をどうにかしようとするのでなく、

自分自身の「思いを救う」事をするのが先だという事になると思います。

こういう考え方をするのが、霊能力者だというのなら、憂生も霊能力者だといえるかもしれません。

まあ、こういうように考え方が合致しているところがたくさんあり、

妙に納得して帰ってきました。

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