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わけあって、又も、再掲載。

物語を読むときに本当に必要な心というのは、こういうことだと思います。
作中の人物に同情するのは、簡単なことだけど、/ま、ただし、コレは表現方法にもよるかもしれませんが、憂生の拙い文章からここまで、思ってくださることは、むしろ、驚異です!!/
その気持ちから一歩はなれて自分を振り返って、自分のありがたさに感謝する。
物語というものは本来、こうあるべきものだと痛切に思います。
こういう取り方をされていただけると物語が読む人の中で血肉になってゆくと思うのです。
そして、これは、本当に作品と自分を向かい合わせてくれた結論ということですから、
その真髄に触れることが出来たあなたの読解力と自分の生き様に向かい合う真摯さにただ、敬服の一念です。

この記事のコメントに

書き手と読み手の間には人柄の一致というべきものが存在するのでしょうか。
反面、そんなつもりはないのに変にからんで来る人に出会って鬱になることも。


と、いうのがありました。


どうも、憂生はこういうのが、苦手ですね。


憂生自体は、自分の思うことを追従しているわけで、


その部分で「ああ、その通りだな」とか、思う人が


その部分の人柄を吸収していけばいいわけで、


それが、一致していようが、いまいが、


「得たこと」とは、自分(読み手)の領分でしかないわけです。


もっと、いえば、たとえば、キリストの教えをよんで、


良いとおもったら、自分がその教えを実行することでしかなく


キリストの人柄を良いと、とったことと


本当にキリストの人柄とは一致するかどうか、など、考えないでしょう?


つまり、作品にとるところがあるかないか。


と、いうことになり


そこまで、ふみこめてない作品を書いているから、


冒頭にあげた意味がわからない。


そして、多少はふみこめた作品をかいていると


自分の内面を話してくれるひとがあらわれ


その様子によっては、


気がかりというか、がんばれとか


どうにか、のりこえていってほしいなあとか


相手に対して思うわけです。


その人たちも、自分とむかいあっているわけです。


そのあたりの


ー憂生に話したくなるーということと


憂生もまた、相手を思う、と、いうことと


少なくとも、一致という外側からながめた簡単な把握ではないわけです。


つまり、こういう外面的な、見た目をうんぬんする事をお考えになる方は、


相手を思うなどの、経験・思いが少ない方なのだろうと思うのです。





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コメント


具体的にはかけないほど
辛い話や悲しい話をいくつも、
きいているんですよ。


人柄の一致というより、
思いの一致とかね。


あるいは、作品の中から
何かを示唆されるという場合も多くあることを含め、


> カフェの中には
> 色々な人がいて、
> 物語を読むのに、
> 自分の色々が
> 重なってくる人も多くいる。/憂生


と、だけ・・・もう一度繰り返しておく。



書き手と読み手の間には人柄の一致というべきものが存在するのでしょうか。


このログについて・・・おもうこと・・・。


*****メールを一部抜粋****


> カフェの中には
> 色々な人がいて、
> 物語を読むのに、
> 自分の色々が
> 重なってくる人も多くいる。/憂生



憂生へのお世辞ではないけど
たとえば、過去の一部分の
自分の経験だったり
あ~、私もそう思う・・・だったり
そういうところ私にもあるある・・・だったり
憂生の作品の中に
寂しさをみつけて泣けてきたり・・・


憂生の書くもののなかに
人間くさい心理があって・・・。
私は憂生の日記から入り込んだけど
そのときもほんとに自分の気持ちと
合わさるものがあった。


小枝は私も読ませていただきました。
母の目として生を受けた子どもの視点から見れば、また違ったものが見えてくるかもしれませんね。もっとも。子をなすという行為の背後には常に将来への期待がひそんでいないと言い切れないという点では、誰もが同じなのでありましょう。
投稿者:arcina (2005 8/6 23:2)


書き手と読み手の間には人柄の一致というべきものが存在するのでしょうか。
反面、そんなつもりはないのに変にからんで来る人に出会って鬱になることも。


投稿者:arcina (2005 8/6 23:2)


何も無い。一見、平凡でありきたりなこと。
こんなことが一番幸せなんだということ。
よく、思います。
文章を書く立場として、たとえば自分に奇異な?タグイまれな不幸があれば、極端な話ベストセラーになれるようなものをかけるかもしれません。でも、憂生もごく平凡でどこまで、人の痛みがわかるか実に怪しい人間です。
でも、人の痛みがわからない自分というものをひっくり返してみたとき、それだけ幸せなんだと思います。
人の痛みがわかるほどの不幸を?味あわずにすんでいる自分を感謝する。
わからない自分であることが実はありがたいのだと思う憂生であります。
御幣があるかな?


コメント


目が見えて耳が聞こえて言葉が話せて歩くことも走ることも考えることもできる
父はもぅいないけど数年前まで元気でいてくれて母は、5年の介護を経た父が他界したら鬱傾向になってしまったけど最近は化粧品なんかに興味を示して前向きになってきてるんだ 子も旦那も元気だしなんでもない普通がとても幸せと更に強く想う
投稿者:mahirururu (2005 3/3 18:41)

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