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正邪の仕組み?

歴史的視点で鬼というものを定義したものにであった。

こういう存在への観念というものを、観るとき、

歴史の流れの中でみると、

人間の観念が奇妙に融合してしまうのがわかる。

もっとも、わかりやすいのが、

仏教の神々だろう。

インドの神と中国仏教の神と日本の神が

融合してしまう。

手元に資料がないので、うろおぼえだが、

ダキニがウカノ神になったり、

スサノオが牛頭大王になったり・・

同一視というところが、正解かもしれない。

なぜ、こんなことがおきるのか?

と、いうことを考える。

根本的なところで最初に書いた鬼への解釈のしかたが的をえているか。

多神教と一神教の違い。

一神教の有名なところはキリストだろう。

これが、ほかのものと同一視されたことがあるだろうか?

おそらく、ないのではなかろうか?

なぜなら、一神教の神は絶対的存在として、日本に入ってきている。

おまけをいえば、かなり排他的信仰を有する。

絶対神。唯一神。が、ほかの神と融合されたり、同一視されたら、

絶対的価値がなくなる。

ところが、日本人のもともとの信仰は多神教というか、

神様というのは、どこにでも居る。

自然崇拝がもとであろう。

水の神、竈の神、石の神。雷の神、耕作の神

と、云う具合に森羅万象すべてに神が宿る。

これらが、発展していくと、

具象化した形のものでとらえていく。

水の神は例えば龍神になっていく。

龍神が描かれたり、彫り物にされたりと

目にみえる偶像に形をかえていく。

この多神教の観念がなんでもかんでも、

同一視・融合をうみだす。

(仏教を)護る神(いわば、精神)というものが、

牛頭大王であるなら、

(民衆の生活を)を護った存在であろうスサノオも

いわんや、仏教も護ろう。

スサノオが牛頭大王と融合してしまう。

どうも、日本人は

その存在自体をより、観念的にとらえたがる。

そのもののもつ、本質部分を捉える。

水の神である性質をもっていたら、

どれでもこれでも、水の神の称号を冠する。

ところが、別の側面もでてくると、これは食の神という具合に

分類項目がふえる。

こう言う具合に絶対神という観念がなく、

森羅万象の具象化として、神が存在していく。

ここにキリスト教がはいってくる。

日本人が森羅万象で分類するのに難しい神であろう。

それより以前にキリストを神ととらえたか、どうかとも思うが、

多神教の中、これも神の一人だとうけいれてしまうわけで、

日本が一神教だったら、宗教戦争がおきるところだろう。

まあ、懐が深いというか、キリストというものも、

広意義で森羅万象のひとつの形態だととらえてしまうのか。

そして、森羅万象と考えた時に、そのままを受け入れるわけで、

ここで、鬼の話に戻る。

そのままを受け入れるということを考えた時、

例えば、水ということを考える。

水の本質をそのまま、うけいれると、

生活に役立つ部分

生活を壊す部分。

両方ある。

極論だが田畑を潤す水もあれば、豪雨などにより、田畑の作物をくさらす水もある。

両方とも水の持つ性格だろう。

日本人はそこに神をみる。

すると田畑を潤してくださって、有難う。

で、あり、

豪雨などは逆に祭り方がわるかったのか、

人の心の悪さにおこっているのだろうか?

などと考えるだろう。

つまり、日本の原初的な神は、良い部分も悪い部分ももっている存在。

ようするに自然体なわけで、

キリストのように絶対的「聖」「正」の側面しか持たない存在ではない。

この自然体というか、本質そのままをうけとめた考えでいけば、

鬼というものも、

正しい部分と邪な部分を両方をもっている。

鬼のように一心不乱に物事にうちこむ。

という正しい?ほうに分類されるものもあれば、

鬼のようなしうち

という邪なほうに分類されることもある。

両方とも鬼というものがもつ、性格だろう。

この鬼の特性?に「とことん」というものがあるかもしれない。

鬼気迫るといえば、極めきった表現を指そう。

鬼のような仕打ちというのでも、常軌をいっした「とことん」な仕打ち。

そして、日本人はこの「とことん」という本質だけをみる。

本来あったのは、そこだけではなかろうか?

その「とことん」の本質が、

どうでるかでしかなく、

後に入ってきたサタン的鬼、悪者の鬼が、「とことん」の意味合いをうすめ、

悪い部分だけを強調したように思うが

「徹する」という部分を考えると「鬼」というのは、怖い存在だとおもう。

まあ、厳しさといってもよいかもしれない。

そして、内面の鬼をどう扱うかということだろう。

怒り狂うほうにだしていくか。

真髄を極めるほうにだしていくか。

それにより、

内面の鬼は姿を変える。

白蛇のところでも書いたけど

物欲に使えば、こちらをのみこんでくる。

こちらが、良いこと?をやっていけば、

強力な守護になろう。

自分のなかのものを

正にするも、邪にするも

自分次第でしかない。

やっぱ、毎度の「思い方」をよくしていくしかないって、いう結論になってしまった。

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