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沼奈宣破比売(ぬながわひめ)・・終


沼奈宣破比売(ぬながわひめ)が越の国に戻った時期。

これを考えるとき、美穂神社が国譲りの場面で重要な位置にあったこと。

建御名方命が国譲りに頑迷に反対し大暴れして、諏訪に蟄居させられる結果になったことを重ねあわす。

と、思い浮かぶのは

建御名方命が越の国の奴奈川あたりをおさめていたわけだから、

この建御名方命が越の国を留守にして、美穂の郷に来たことになる。

当然といってはおかしいが、沼奈宣破比売(ぬながわひめ)が

長が留守になった奴奈川に戻る。と、いう考えにならないだろうか?

とるものもとりあえず、越の国奴奈川に戻る。

そのうち、出雲が大和朝廷に支配されたのがわかる。

憂生は出雲大社の祭神は実は、スサノオではないかという話をかいているが、

スサノオが惨殺されたとするのなら、当然、大国主命も建御名方命も

惨殺あるいは処刑されたと考える。

だが、はっきりと反抗してきた建御名方命を出雲の地にて封印するのは

どうだろう?

霊になってたたる時も反抗的な態度でたたる。

出雲の地にて葬り、社にて怨念を封印するというかんがえになるまい。

沼奈宣破比売(ぬながわひめ)越の国奴奈川でどうかんがえただろう?

美穂須々美はどうなってしまったか?

自分はどうなるか?

この二つがおおきなところではないのだろうか?

美穂須々美はまだしらべきっていないが、どうも消息がつかめない。

憂生はおそらくこれも、出雲族の長の一連として処刑されたか、

自害したかと思う。それも、父、大国主命と母、沼奈宣破比売が暮らした

二つの千木を掲げた住まいの中で・・・。

故に美穂神社が建立され、二人の子供であるという象徴である二つの千木を掲げた神社をつくり、美穂須々美の無念を弔った。

大和朝廷に面と向かって反抗した建御名方命を考えても、大国主命のために出雲大社が建てらるということからも、美穂須々美がどうなったかは沼奈宣破比売には、わかっていたのではないだろうか?

そして、わが身もいずれ、同じことになるとも考えていただろう。

沼奈宣破比売の巫としての才覚もアマテラスという巫をだかえる大和朝廷には

不必要だろう。

この後に、まもなく、大和朝廷が乗り込んでくる。

そのあたりのくだりは前スレッドの転載の通りと考えてみると、

その以後ヒスイが衰退していくのもわかる。

ヒスイの持つ秘力を使える巫(美穂須々美も含め)がいなくなったことと

ヒスイの秘力を必要としない巫を擁する大和朝廷が、ヒスイの威力さえ否定した。

ヒスイの効力もアマテラス(巫)のまえでは、ただのきれいな石でしかなくなってしまったわけだから、ヒスイの秘力への絶対的信仰もなくなってしまったのだろう。

「私が大国主命の妻だから・・」

沼奈宣破比売が発した言葉をかんがえても、沼奈宣破比売は出雲の人になっていただろう。

その証のごとく、美穂須々美が出雲の地美穂に眠っている。

こう考えたいのだが、無理があるだろうか?

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