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白蛇神・・2

ネットを徘徊していました。

で、あいかわらず、白蛇神をみてまわったのですが・・。

出口王任三郎の大本教でしったけ・・。

あのあたりのことをかいている人がいて、

そこら辺に蛇神信仰ってのがあって・・。

まあ、よく、研究なさってる。

納得するものがあるので、

読み進めていくうちに、

ああ、そうだ・・・みいさんっていいかたがあったよな。

稲荷とおなじで、まあ、そういう類の

動物神?

元々、動物でしかないってことで、

こういうものについても、

なんで、信仰するのか?

商売繁盛のご利益信仰にしたって、

なんも、動物ごときに人間様がお願いをしなくてよかろう。

ってのが、あったわけで・・。

で、白蛇もある意味、同じなんだというかんがえがありながら、

どこかで、神扱い?してるなってのが憂生にあったと思うわけですよ。

日本の神話にしろ・・大物主にしろ、

天理教にしろ、水神としての白蛇神とか・・。

で、まあ、ああみいさん・・か。

ってね。

で、まあ、この間の天気を変えて、物を申したのは

やはり「白蛇」かなって思うわけです。

天候をつかさどる存在でもあるわけだし・・。

まあ、どっちにしろ、憂生を護ろうとしたんだろうけど、

その時点で、憂生がそれにうなづいたら、

先に書いた人みたいな状態になったんじゃないかな?

と、思うわけです。

白い玉を鵜呑みにしようとしているのか、

どうかは判らないけど

思い切り不思議をみせて、人の心の隙をついてくる。

憂生が本当の神?(自分の中からのものは)

神秘や奇跡でみせてこない。

って、ことをきいていたので、

ある意味引っかからなかったんだと思うけど・・。

本当の神は、例えば

友人とかに相談したら、ずばりとアドヴァイスをくれたり

TVをみてたら、ああ、そうかと

普通の状態で目に物見せてくれる。

そして、もうひとつは、

あるいは、なにをいってるか、わからない。

ことを思わす。

前述の

「みみずくじゃ」

「いずれ、榛の木」

みたいに、悪霊?とかに、きこえても、

意味がわからないように、

こっちに伝えてくる。

そして、自分の思いそのものになる。

「なんか、しらんが、はやく帰りたい」

と、思わされて、帰らなかったら怪我・・・。

結局、それで、一本うち打法なわけで・・。

そんなふうに、目に物をみせるというのでも、

自分が思ったことにしたがわなかったら・・という状態で、

上にかいた、変な事象をおこしてということではない。

まあ、まだまだ、妙な事象というのは、あって、

本人の思いがはいってきた場合はまだしもかな?とおもうんだけど、

完璧に違うものが思わす。

いずれにしろ、これもいずれ、本当か嘘かみせてくるわけで、

あまり、とりあわないし、

とりあうときは、やはり自分側に何らかのくぼみがあるとき。

そこをついてくるなって思う。

ちょっと、前にも、書いてるので具体的に書く。

憂生自体が心機一転、環境をかえるために

宝くじがあたらんもんかと、まあ、かなり欲な?

自分勝手な思い方をしたわけだ。

で、今の状況を解決?していないで、

逃げ出すみたいなのは、おかしいわけで、

本当に解決して、環境をかえるのが正しい選択なら

だまっていても、金は転がり込んでくる物だと思う。

で、あるのに、解決せず、逃げるために

宝くじがあたらんかな?

って・・・。

そういう思いがあった。

すると、

「当たるから買え」って、思念がとびこんでくるわけで、

ここで、やったわけだ。

「お前がなにものか、わからないのに、その言葉を信じれるか」

「じゃあ、証てみせてやる。そこの、じいさん、みおおさめだな」

で、3ヵ月後だったかな。

おじいさんは亡くなった。

確かに、見納めになったんだけど。

ちょっとな・・。

そういう証かたもどうかとおもうし

以前にそのパターンで、3人の人の死を予知させられていたわけで、

だから、どうだって、いう思い方もあったわけだ。

予知したからって、その死をくいとめられたわけでもなんでもない。

つまらんことだ。

と、おもったわけだ。

でも、まだ、当たらないかなって思いがあるわけだから、買う。

で、結局、あたった。

3000円。

この程度なんだなってこと。

嘘はついてないけど、額が万円ちがうし/笑

で、これをもし、その言葉にのって、かってたら、

憂生は間違いなくそいつに魂のっとられていた。

で、こう考えると、死ぬなって天気をかえたのも、そこかな。

って・・。

自殺するようなたまじゃない。

苦しむには苦しむだけのわけがあるし、

あるいは、そのことで、自分のしでかした事が

清算されるってときもある。

だから、そのまま、くるしませておけばいいんだし

本当にしにそうになったら、たすけりゃよかろう?

で、憂生の魂をつかいまわしたいから、

「死なれちゃ困る」わけで、

たすけるふりをして、それを憂生が拝んだら

さきに書いた人とおなじ。

ああ、こういうことかなってね。

で、もうしわけないけど、

憂生が霊能力やチャネラーなどなどがよくないというのは、

結局、こういうことだから。

本当の神はそんな安易な人助けをしない。

それにきがつかず、神様神様とやってると

自分の魂を使いまわされる。

そのあたりを一番いやだとおもっていたから、

嫌っていたんだけど・・・。

で、嫌っていながら、自分で、同じことをやってるのにきがついていない。

と、いうより、

嫌うってことは、そこに自分のなにかと同じものがあるせいだ。

って、こともかんがえてるのに、

はてには、そういう能力があったほうがいいのではないか。

と、いう人間にたいしても、それはいけない。

と、いっているのに、よくよく、自分をほりさげてみると

こう言う状態で、

結局、自分の姿をみせられて、

霊能力などなどは、いけない。って、おもうわけだ。

ただ、なにが、憂生をたすけているかといえば、

「霊能力などなどはいけない」

って、考え方を意識してたってことだけ。

これが、「霊能力をもちたい」とおもってたら、

いまごろ、立派な霊能力シャになったことであろう/笑

憂生ごときがなれるかちゅうねん。

まあ、そういうところで、

ながくなったので、いったんおく。


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