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沼奈宣破比売(ぬながわひめ)・・5


http://homepage2.nifty.com/oyashirazu-oumi/himenosonogo/hime.html

より転載。

『古事記』の中で沼河比売については八千矛神、即ち大国主命が高志の国(越)の沼河比売に求婚する場面から登場してきます。

八千矛神と沼河比売のやりとり(神語)は「奴奈川姫の結婚」のページで詳しく紹介しましたが妻問いの翌日、目出度く結婚され美穂須須美命と建御名方神がお生まれになる。

しかし、古事記ではなぜか、美穂須須美命のことは触れておらず、八千矛神と奴奈川姫の子供は建御名方神、一人しか登場されていません。

<奴奈川姫命>
一方、『出雲国風土記』には沼河比売自身と、八千矛神との間にできたお子神、「御穂須須美命」のことが詳しく書かれています。

(原文)

美穂郷

(

みほのさと

)

 郡家正東27里164歩。 ”

所造天下大神命

(

(大国主命)

)

” 娶 高志国坐神 ”

意支都久良為命

(

おきつくしのみこと

)

” 子 ”

俾都久良為命

(

へつくしいのみこと

)

 子 ”

沼河比売命

(

ぬなかわひめのみこと

)

” 而、”

御穂須須美命

(

みほすすみのみこと

)

” 是 神坐 矣。故、云 「美保」
<現代語に訳せば>
美保郷 郡家の正東二十七里一百六十四歩なり。所作天下大神命、高志国に座せる


意支都久辰為命

(

おきつくしいのみこと

)

の子、

俾都久辰為命

(

へつくしいのみこと

)

の子、奴奈宜波比売命に娶ひて産みましし神、美穂須須美命、是の神坐します。故、美保と云ふ。    
『出雲国風土記』嶋根郡美保郷
このように、『出雲国風土記』では、奴奈川姫の祖父神、そして父神のことが記され、奴奈川姫は大国主命(八千矛神)と結婚して、美穂須須美命が誕生したことを書かれていて、同時に美穂須須美命は 美保郷 郡家の正東二十七里一百六十四歩に座していると述べています。

美保の郷は島根半島の東端にあり、神の寄りつく御崎として民謡「関の五本松」や美保神社等で知られる港町です。

美保神社は古くから漁業、海上の安全の神として信仰を集めている。
本殿は美保造りという珍しい構造で作られていて、左殿には三穂津姫の命、右殿には事代主神が祀られているが、これは「古事記」や「日本書紀」の国譲り神話の影響によって後世祀られるようになったとみられています。

中世に入ると、事代主神は恵比須神と習合し、福神信仰が盛んになったが、風土記の時代には、御穂須須美命が祀られて居たと云われています。

美保と云う地名についても風土記に「御穂須須美命がここにいらっしゃいます。それで美保という」とあります。

ここで、奴奈川姫の系譜を考えると

祖父神:

父神 :

母神 :黒姫神
奴奈川姫:
姫の夫神:八千矛神
姫の子供:美穂須須美神
姫の子供:建御名方命

<御穂須須美命>
美保郷 郡家の正東二十七里一百六十四歩なり。所作天下大神命、高志国に座せる神意支都久辰為命の子、俾都久辰為命の子、奴奈宜波比売命に娶ひて産みましし神、美穂須須美命、是の神坐します。故、美保と云ふ。
美保須須美命は先程の『出雲国風土記』にもあるように『奴奈宜波比売命に娶ひて産みましし神』と記され、美穂須須美命は奴奈川姫の御子神であります。
嶋根郡美保郷に美保須須美神が鎮座と記されているのですが、美保神社の現在の主祭神は事代主命となっている。

いつ、このように変わったのか、和歌森太郎『美保神社の研究』には、美保神社関係の諸文書を検討してゆくと江戸時代の初期ぐらいまでは美保神社のご祭神は元来、「ミホススミ神」であったことが現地調査の結果確認されています。

一方、能登半島の先端の珠洲市にある珠洲(須須)神社の祭神も元来は「ミホススミ神」であることが判りました。
そして、八千矛神と奴奈川姫との間に生まれた「美穂須須美命」の鎮座している能登半島は天気の良い日にはここ奴奈川の郷の青海からもよく見えます。
(注)須須(珠洲)神社の現在の祭神は

彦火瓊瓊杵尊

(

ひこほににぎのみこと

)

に変わっています。
<建御名方神>
以上で沼河比売とその子供、御穂須須美命の経歴がはっきりして来ましたがもう一人のお子神である建御名方命は何故か風土記には登場せず、古事記の中で国譲りの神話の所で登場してきます。
大国主命は数々の苦難を乗り越えてやっと国造り終え、国が繁栄している様子を見た

天照大御神

(

あまてらすおほみかみ

)

は、我が子にその国を統治させようと使者を送る。

これが有名な大国主の国譲り神話で御子神の

建御名方命

(

たけみなかたのみこと

)

が理不尽な国譲りに勇敢にも抵抗するが

建御雷神

(

たけみかずちのかみ

)

に負けて信濃(長野県)の諏訪湖近くまで追い詰められてしまう。
そして、この諏訪の地より出ないという約束で降参し、

八坂刀売命

(

やさかとめのみこと

)

と結婚して諏訪大社の祭神として鎮座している。

以上の出展から美穂須々美は

母である沼名河姫が一端は大国主命とともに美穂崎に住まいしたと考えるのが妥当と思われます。

千木の様子からも、天津神系譜であった沼名河姫を天津神としてまつり、

越の国へのアピールとして大国主命が国津神として

ともに美穂の郷でくらした。

そして、おそらくそこの土地で生まれたのが美穂須々美。

この美穂須々美も文字音で解釈すると美穂さんがそこを「巣」にして、あるいは、清め(須)て、

住みたもうとも読めるのです。

実際、後に事代主にかわったとおもうものの、

神社の形式様相を変えるとは思えないので

元々は例えば、タイの部族の村長のように、大国主命の沼名河姫との二人の住まいに

千木をかかげ、沼名河姫を天津神として大国主命が国津神(地方豪族・守護の立ち場)にたつ千木を掲げたのではないかと思うわけです。

まさか、越の国から連れ帰り沼名河姫を大国主命の守護位置におくことは

越の国を敵にまわすことになるのではないのでしょうか?

この形態が受け継がれ伝承され、美穂神社は天津神と国津神が横に並ぶ姿のままで居ると思います。

そして、いずれのちに、情勢?などにより、祭神がかわるのは、どこでもあることですから、

ほぼこの考えがあてはまるとおもうのですが、

問題のもうひとつ。

なぜ、沼名河姫がここまで、大国主命あるいは出雲で重鎮されたかという事です。

そして、もうひとつは、沼名河姫がもとの場所に帰った経緯です。

単純に元々行きたくなかった出雲に来てしまった。

上にすせり姫などのいやがらせ?があったというのは、

もうひとつ、押しが薄いきがして、伝説を続けて読みに行ってきます。

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