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『君が代』に関する異説

この節に挙げた諸説は現在までのところ学術的に賛同を得られていない。

『君が代』九州王朝起源説

九州王朝説 を唱えた古田武彦 は『魏志倭人伝 』において、倭国 内の国の一つ・伊都国 があったと推定される糸島半島 や近隣の博多湾 一帯のフィールド調査から次のような事実を発見している

君が代<だい>は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで
あれはや あれこそは 我君のみふねかや うつろうがせ身骸<みがい>に命<いのち> 千歳<せんざい>という
花こそ 咲いたる 沖の御津<おんづ>の汐早にはえたらむ釣尾<つるお>にくわざらむ 鯛は沖のむれんだいほや

志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで
今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ
いるかよ いるか 汐早のいるか 磯良<いそら>が崎に 鯛釣るおきな

山誉め祭, 神楽歌

上記の事から、『君が代』の誕生地は、糸島・博多湾岸であり『君が代』に歌われる「君」とは天皇家ではなく山誉め祭神楽歌にある「安曇の君」(阿曇磯良 ?)もしくは別名「筑紫の君 」(九州王朝 の君主)と推定。

  • 古今和歌集 の君が代については本来「君が代は」ではなく特定の君主に対して詩を詠んだ「我が君は」の形が原型と考えられるが、古今和歌集醍醐天皇 の勅命によって編まれた『勅撰和歌集 』であり天皇家から見ると「安曇の君」は朝敵にあたるため後に有名な『平家物語 』(巻七、“忠度都落ち”)の場合のように“朝敵”となった平忠度の名を伏せて“読人しらず”として勅撰集(『千載和歌集 』)に収録した「故郷花(ふるさとのはな)」のように紀貫之 は敢えてこれを隠し、「題知らず」「読人知らず」の形で掲載した。
  • 糸島博多湾 一帯 は古くは海岸線が深く内陸に入り込んでおり、元来『君が代』とは「千代」→「八千代(=千代の複数形=千代一帯)」→「細石神社」→「井原、岩羅」と古くは海岸近くの各所・村々を訪ねて糸島半島の「桜谷神社」に祀られている「苔牟須売神」へ「我が君」の長寿の祈願をする際の道中双六のような、当時の長寿祈願の遍路(四国遍路のような)の道筋のようなものを詠った民間信仰に根づいた詩ではないかと考えられる。

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