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白蛇神と鬼

こっちのブログはスピリット系統でいこうかな、

なんてことをおもいまして・・。

ちょっと、試行錯誤中です。

こんなことを思ったのも、アクセスロゴを逆にたぐってみて、

「白蛇神」というものに、ついて、いろいろ、かいているひとを見かけたからです。

何度もかきますが、霊にしろ、神にしろ、仏にしろ

それらの力にすがったり、利用したり、差配されちゃあいかんというのが、

憂生の考え方です。

ここを間違ってとらえてもらうと、憂生がいうことが、

宗教伝道士になってしまうんで、誤解なきように。

そもはじめ、憂生が、自分の魂を護るもの?(か、どうかもわからない)

を意識したのが、

「すくね」という名をつげてきた「なにものかの」の存在によるわけです。

この「すくね」は、そのピンチのときに憂生をまもっていたわけですが、

解決できはじめたときに、

「御身大切に」と思いをおくってきて、去っていく?

交信をやめる?ようでした。

憂生は誰かということをさぐっていくと、まあ、自分の思いでさぐります。

最初、月読かとおもったのでたずねたのですが、違う。

でも、自分ではだれかあかしてこない。

で、こっちの念がつよくなってしまったのか、

紙に「すくねのみこと」とだけ、うかんだので、かきとめて、それで終ったわけです。

ところが、この「すくね」が誰かわからない。

判らないけど、やっぱり、うかぶのが、

「宿根」って言葉なわけです。

根は魂のことです。

根に宿る存在だと思うわけです。

これが、また、おもしろいことに、祖父の苗字が「根来」なのです。

「魂が来る」そして、「魂に宿る魂(?)」がきた。

こう言う風に明かされたかな?なんて考えていたわけですが、

最近は人の魂らしきものがくるのがわかります。

もちろん、鑑定みたいに誰のでも来たり、来させたりなんてことはありません。

いやな言い方ですが、レベル?の低いものはこないようです。

まだ、ほかにもとり方はありますが、ここはおいといて・・・。

で、このことと白蛇神に何の関連もないのですが・・・。

魂の原初というのは、天理教だと「天(宇宙?)のエネルギーから生じた泥鰌のようなもの」というのですが、(くわしくはしりません。ききかじりです)

泥鰌のようなものでおもうのは、ひとつには、勾玉です。

もうひとつは、蛇ですね。

で、ここで、三輪山信仰、つまり、白蛇神信仰を思うわけです。

大物主のご神体は三輪山なわけですが、このあたりも、石神に起源があるとおもっています。

石神はどうも、宇宙からのエネルギーなんですよ。

それが、地球の生命体の元、科学的には判りませんが有機物とか?

こういうものと、融合して「泥鰌」をつくりだしていったとおもうわけです。

ですので、大物主というのは、神社の由緒だったかでも語られていたと思うけど

「人間の祖神」であるというわけです。

ですので、ネットなんかをみてきますと、白蛇神は「宇宙のエネルギー」をゆうする。なんて、くだりもあり、妙なおかげ信仰につかわれていることがおおくあります。

白蛇の夢を見ると良い。とか、蛇の皮をもっていると金が儲かるとか、

まあ、欲の皮をつっぱらかしていたり、おかげ信仰につかっていたりするのをみると、ちょっと、かんがえてしまうわけです。

で、こう言う風に憂生がぐちゃぐちゃいうのに、ひとつに、

神道家の方が憂生のなかにもぐっていったときに、

(このもぐっていくのも、体感できているし、前回に金色の光が居るということでも、

アル方がいる場合それくらいの光を発するわけで、それを見る事ができるということでも、この神道家は本物だとおもっています。偽者かレベルの低い人だったら

はいれないのもあるし、はいっても、目が痛いといっていましたが、その光で浄化されるので、身上をうけてしまい、それこそ、本当に目がみえなくなるとか・・)

で、そのときに憂生の中に

「白蛇と鬼」がいると告げてきたわけです。

白蛇については、上にかいたように、根源的存在でもあり、

憂生の魂を護る存在か、あるいは、憂生自体の魂がそういう形でみえたのかもしれません。

で、この白蛇の存在については、うすうす、知らせがありしっていました。

なにかが、

「とぐろをまいているぞ」

つまり、住み着いているってことだったのでしょう。

そういう風にしらせてきていました。

ですが、「なんじゃ?とぐろをまいてる?蛇みたいじゃのう」

と、判る人じゃないので、気にも留めなかったわけです。

一方、「鬼」っていうのがわかっていません。

で、この鬼っていうのも、どうやら、魔的な存在としての鬼でなく

一種、神のような存在ではないかと思っています。

鬼気迫るとか、神出鬼没とか、「悪い子はいねか~~」というなまはげみたいな意味合いとか、たとえば、不動明王のように、呪の力ももって、魔を調伏するとか、

こう言う具合に、「鬼のように怖い一面をもってこそ」憂生の魂を護れるというか。

そういうものだと思うので、鬼という意味合いは厳しさみたいな部分だと考えるわけです。

ですので、この影響かどうか、わかりませんが、

たとえば、白蛇神のような、かなり超越した力がつかえたとしても、

安易なことにその力をつかわない、憂生がしょうじるわけです。

で、憂生自体が自分がそうだと思っているようですが、実は

そういう存在が見通した「真理」というか、そういうことがはまってしまっているんだと思うわけです。

ですから、白蛇神のパワーをもらうんだとか、

それを利用して、人の魂を導くんだとか、

これは、ちょっと、おかしいといいます。

自分が良い思い方で一生懸命自分をたてかえていったら、

器が出来る。

その器に「なにかがはいる」。

そうかいたことがあります。

つまり、おこぼれをあてにしていなくても、

自分の中に白蛇神がはいるんだってことを言いたいわけです。

もちろん、そんな力をつうかおうとか、ご利益を得ようなんてかんがえでは

はいってきません。

そして、はいってきているらしい憂生がいえることは、

苦労とか困難とかそんなものがなくなるわけじゃないということです。

苦労とか困難とかをのりこえていけるパワーというのかな?

こんなものが送られてくるだけです。

そういう風に自分がなんとか、困難や苦労を乗り越えて行ったときに

それが、自分の実力になる(と、思う)

だから、その部分でほかの人のことも、

自分の実力が当てはまる部分については、相手の人にもパワーを送ったり、

同じような人?については、魂がよってきて、

微力ながら、魂の色を元気なものにすることができる。

と、いう不思議ができるわけで、

憂生の「実力」になってないものを発動させるほど、

「鬼」も「白蛇」もあまくはない。

だから、逆に「鬼」も「白蛇」も憂生の中に居る。

これを自分の不思議な能力でつかいまわすことをしたら、

「外」にいってしまって、

俗にいう霊能力者やチャネラーになってしまう。

まあ、憂生はこういう仕組みだとおもっているので、

なおさらに、パワーをもらいましょうとか、

御利益を当てにしてなんてのは、きらいなわけ。

不遜ないいかただけど、

癒されるってほかをさがすのでなく

自分自身がほかを「癒す」くらいの「実力」を身に着けろ。って、

思うわけです。

ほかに求めているうちは無理。

身のうちから、沸く。

これが本当だとおもっています。


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