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■最近、わかんないんですよね~

今から20ン年前、
自分で自分に言い聞かせるように霊能力(?)断ち切ったんですが…
でも同時に良い感もなくしたようで…自分の思い(ねっこ)まで見失ってるようで…
最近は、どちらも自分の能力ならどちらも認めて、上手に付き合った方がいいんじゃないかなあ~と思うこともあり、よくわからないですぅ~

3~4日前から、ちょいと、やばいな~~~っておもってたんです/笑

なにか、わからないけど、「憑いてきてる」

で、そのパターンっていうのが、

たいてい、そいつのいう事(思わすこと)が

当たってくる。

と、いうパターンです。

で、その現象のひとつですが、

「もうすこし、したら、電話がかかってくる」

これ、以前にあったパターンです/笑

で、その「なにか」の言うとおり、はいはいとやってると、

自分が使われてしまうというか、

「なにか」が、やりたいことにこちらが、使われる。

で、どうやら、ここに、書き始めてみようとした時に

妙な思いがわくのです。

「霊能者として・・」というテーマをつくろうかな・・・。

はあ?

です。

憂生は何かにすがった?依頼した力なんかいらないんですよね。

それを考えたら、すぐにわかります。

「霊能力者として、使おう」としている・・・ってことでしょう。

で、これを書こうとした時、女性の言葉が響きました。

「気をつけて」

多分、憂生が本音でいろいろ、語った人です。

昔ですが、こういう当てもの?はものすごい時がありました。

たとえば、1km先のパーキングで、何時何分、赤い車がきて、

中に男2、女2 男ふたりは缶コーヒーをかって、女性ふたりは、車からおりてこない。

ってなぐあいにずばずば、言い当ててしまうわけです。

これがそのうち、自分でも、のせられてしまって、

えらくなってしまう。

完璧に憑依状態なわけです。

そのあたりは、師が一喝でおっぱらってくれたわけですが、

今は、師との親交がありませんから、

さて、今のこれをどうするか?ですよね。

気にいって、憂生のところにいるのはいいのですが、

憂生をつかうわけにはいきません。

諦めがつくまでほうっておくか、

・・・。

それとも、気がついた人?が説得しにいってくれてるのかな?

正直を書くと、憂生もきちがい扱いされそうで、嫌なんですけど、

いろんなことがあって、

あてものとか、病気助けとか?

これくらいの「なにか」じゃ、だめなんだって思うのです。

実際、色んな事があったときに、

精神的に極限にきていました。

それで、「死んじゃおうかな」

なんてことを思う。

すると、「生きていろ」って、思わされる。

これは、また、上の状態かい?と思って

「お前が何者かもわからないのに、その言葉をしんじれるか。

本物なら、いますぐ、雨をふらせてみろ」

ってなことをやったわけです。

空はまっさお、快晴そのもの、雲ひとつない。

雨なんかふるわけがない。

ところが、突然、風がふきだし、あたりが暗くなり、雨がぽつ・・ぽつ・・・。

「お~~~~~っと」

やばい。と、思いました。

昔話にありましたよね、自分事で、お日さまがおちるのを遅らせた話。

まさに、それ。

自分の生き死にで、天気までかえちまったら、

こりゃ~~~~やばい。

あわてて、判りました。生きていきます。

って、やったら、あっというまに、元の快晴・・・・。

やばいぞ、やばいぞ、

下手な思いをもったら、まじ、やばいぞ。

って・・・。

こんな事があったので、なろう?と思ったら

たしかに、霊能力者でも、神様でも/笑

なれるのかもしれませんよ。

そんな「能力?」を今回の霊?なにかが、みつけて、

自分でこいつ(憂生)を使いまわしてやろうって、

おもうんだろうと考えます。

でも、残念ながら、憂生はそういうものに、なるきがない。

いや、なりたくないのです。

普通の人間でありたいし、

どういうのかな?

人柄っていうんでしょうかね?

そんなもので、

あ、憂生の話きいて、良かった。

そうか、そんな風にかんがえていけば、

よくなってくるんだよね。

とか、普通のことで、本当に通じる人間になりたいと思っているわけです。

霊を払うにしろ、因縁をどうにかするにしても、

悩みをどうやっていくかにしても、

普通の人間の「本当の言葉」で、

相手の人が「思い」を良い物に変えていける。

それが、本当なんだと思ってるわけです。

だから、霊能力もいらないし、

天気をかえちゃうなんてことも、こりゃ、人間のすることじゃありませんから、

それをはたらかせてしまう自分になってしまうのもやばい。って、ことです。

病気を治すっていうのも、同じです。

キリストが奇跡で人の病をなおしましたが、

憂生はこれは、違うと思っています。

キリスト側でなく、治された側です。

病気になるには病気になる理由があるわけです。

その元(思いもそうでしょう)

これを、直していかなきゃならないと思うのです。

身体を助けて、はたして、元までなおっているんでしょうかね?

自分の思い方などを省みれるんでしょうか?

憂生はこれが、たとえば、

キリストが

「貴方のその思い方が巡りめぐって、貴方を病気にさせてるのですよ。

その思いをかえていきなさい」

と、思いを変えれる言葉を与えた結果、病気が治ったというのなら、判るのです。

そんなこともあるので、病気を治すとか、こういう力も欲しくないのです。

木で言えば根っこをなおさず、枝葉ばかりを直す。

もちろん、ねっこは自分の思いです。

そういう考えでいますので、

自分にすさまじい能力?があっても引き出す気もありませんし、

ましてや、霊や神につかわれるのでなく、

自分を使うのは自分でありたいと思っています。

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