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考え事・・2

ちょっと、仕事にもどっていました。

で先の続きを自分でかんがえていました。

なんで、人事の助けにつかっちゃいけないか。

と、いうのだろう?

って、ことです。

良い事をしているようにおもえます。

ですが、憂生は自分の物語の中でも扱いましたが

「帳合」という場合もありえるという事も思うわけです。

細木数子のことでかいたように、

なにかしら、自分の借り?をかえすためにという場合もありえるんじゃないだろうか?

病気になったり,苦しんだり、なやんだりしたことで、

なにか、「思い方」が変わるということもあるかもしれません。

これを形だけよくしてしまったら

まずいんじゃないか?

確かに助けられた人には、よかったと思うのですが

逆に助けてしまった側の人。

余計なことをしたって場合もあるんじゃないか?

って、ことも思うのです。

病気になるにしろ、悪い事がおきるのは、

それなりに「理由」があると思うのです。

そういう事象を直す前に

何らかの理由をきちんとみつけないと

これは、むしろ、自分のほうがあぶなくなる。

良い事をしているつもりでも、

実は違う場合がありえる。

神は簡単にはてだすけしない物だと思っています。

むしろ、人に辛いところや苦しいところを通らせて

「よい者」にしむけてやりたいと

考えているのが神だとも思うわけです。

ですから、病気になったりしたら、

憂生は自分のどこの思いが悪くて

病気になってしまったんだろうとかんがえなきゃいけないって、

前のことで思うようになったわけです。

まあ、極端なあてはめかたですが、

たとえば肌があれてしまうということがあれば、

自分の思いがあれているんじゃないか?

ぶつぶつが出来れば

感謝をわすれて、文句ばかりおもってるんじゃないか?

と、いう具合に考えます。

ですから、治療したり、薬を飲んで

現象を直すことはありますが、

どういう思いだったろうかってことを問わなきゃいけないって思うわけです。

そこらへんのことを思うと、現象だけ直しているというのは、

問題があるのではないか?

ってなことをかんがえるわけです。

そういう意味合いで憂生は自分に不思議なちからがあっても

それを人助けに使いたくないと思うわけです。

そんな力でなく、

相手の思いをなおしていくということをすれば、

本人自らがよくなるし、

以後も自分で対処していけるんじゃないかって事です。

ここらへんで、

人助け?をするのに、そういう力はいらないのに、

その力を使い

神や仏を自分事につかうってことをやってしまう。

って、思うわけです。

これは、基の思いがいまいちなわけです。

自分事で天気をかえてしまうという考え方ににてるかな。

だから、憂生はそういう存在をつかっちゃいけないと考えてしまうわけです。

うまくいえそうもありませんが、

どうにも、そういう力を使って

人助けをしている人からみたら、

まったく、別なかんがえかたであり、

場合によっては営業妨害なわけです。

ですから、そのやり方でやって生きたいと考える方は

それを使命とかんがえてしっかりやっていくか、

憂生のいうことを考えにいれて検討してみるか、

その結果どちらでもよいとおもうわけで、

批判されているとか、

かんがえずに受け止めてくださるとうれしいとおもうのですが、

さて、これは外にむけて、言った言葉ですが

憂生自身を振り返っていかねばならない事が

まだまだたくさんあるわけです。

実際、拝み信仰。

ご利益?をあてにする思い方っていうのが、憂生の中にあるわけでもあり、

そんな中で自分が良い事をしているつもりになっていても

結局はおがみ信仰を分け与えてるって場合もあるって事だと思うのです。

実際、こういうことを言い出すと、

別に宗教や神秘ごとなどという段階でなくて、

普通の生活で、「苦」になることから逃げる考えもあるわけで、

こういう点で

やはり、自分をかんがえなおさなきゃいけない。

と、思うわけです。

神秘ナ事とか言っていると

自分ができてなくても、どういうのかなあ・・・。

えらそうになるというか・・・。

そこにうなずいちゃ、

いっそう、先に書いた「男」になってしまった彼女みたいに

神秘部分での憂生になってしまって、

人間部分がどこかにいってしまう。

それがいやで、

憂生は今ひとつ清算というのかな?

自分に合った不思議なことを外にほううりだしてしまおうと思っている。

だから、時折、えらそうになってる憂生も居ると思う。

こんなことを全部ほうりだして、

普通の人間として、

捉えていく。

受け止めていく方向にいかないと、

神秘をみせてくるものに使われた人生になってしまう。

憂生はそれがいやなので、

良い事をしようが

奇跡がおきようが、自分の思い方をきたえたいと

思うし、

今はまだまだ、なにかが介在してくるけど、

いずれ、そういうものなしで、

自分の思いがそのまま通じていくっていう人間になっていきたいって、

まあ、そういう事を思うせいで

いささか、批判的に否定しなきゃまだぐらつく自分がいるってことで、

けして、相手を批判するためにぐちゃぐちゃかいてるわけじゃないので、

そこのところ、

弱くて、すんまへん。


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