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前世・・1・2


前世・・1

憂生が書いている、白蛇抄は、

読んだら、びっくりするようなことを、書いている。

とかいうことを、いつか、かいたことがあるんだけど、

まあ、今回、たとえばとして、

あげてみる。

前世療法とか、前世ヒーリングとかいうのがあるらしい。

前世の傷(トラウマ)などが、今生にでてくるということで、

前世を癒すという方法なんだと思う。

ところが、憂生の物語は癒すということでなく、

前世の因縁が今生にはまる。

と、いうことを書いている。

だから、たとえば、人の相談ごとに乗る人は、

前世もそういう人だったということが多い。

そして、もうひとつは、そのときに

解決できなかったりしたことを、持ち越してしまうという事がある。

ようは、みせられる相手は自分の

そうなったかもしれないこととか、

そうならずにすんだこととか、

これから、そうなるかもしれないことをみせにくる。

ここで、どう、おもうか。

で、

この先の自分の運命がきまっていく。

きょくたんすぎるたとえだけど、

事故で手が不自由になったひとにあったとする。

そこで、それをみて、

「きのどくに。かわいそうに」

と、おもったとする。

もうひとつは、

「めげずにがんばってるな。がんばれ」

と、思ったとする。

あくまでも極端なたとえなので、そこはあしからず。

すると、たとえば自分もなにかで、不自由をかんじることになる。

と、する。

そのときに、

自分のことを

「なんて、かわいそうな自分」

と、おもうか、

「めげずにがんばっていこう」

と、思うか・・という因果の応報部分がでてくる。

この因果の部分がいわば、前世という事だと思う。

で、後世で、また、おなじ風なことがでてくる。

このときに、

「なんてかわいそうな」と思った前世がいれば、

同じように思いやすい。

で、その部分を後世でクリアしろという風になってくるのだと思う。

それを、今生でクリアできないと、今度は来世にもちこされる。

こういうふうにして、だんだん、よくなっていくべきなんだけど、

これを前世療法とかでなおしても、無理なんじゃないか?

って、おもうんだよね。

つまり、どう思ったかという行動をもう前世がおこしてしまっていて、

いわば傷がついているわけ。

その傷の痛みがあるからこそ、自分がクリアしていないとわかるんじゃないのかな?

その痛みの元になる「思い方」を自分でクリアしていくようにすることで、

来世にもちこさない。

って、事が出来ると思う。

違うかもしれないけど、

前世療法で癒されるのは、痛み部分だと思う。

依然として因果部分はある。

これをどうやって、きりかえていくかというところが、

今、生まれてきている理由の一つだと思う。

そこのところををかえても、同じ様な事が今生で起きた時に

「かわいそうに」と、やってしまったら、

来世に今度は出る。

だから、やっぱし、思いを変えていく。

見せられる元は我にありと思う。

自分がどう思うかということを意識しておく。

これが、実は前世であり、今生であり、後世の連鎖になっている部分。

だから、どうしても、思いがきりかわるまで、

おなじことを、くりかえしやすいわけで、

この「申し送り」みたいなところを、今生がクリアできれば、

一番、ベストなんだと思う。

前世療法がわるいというのでなく、

見せられる元は我にありと思う。

自分がどう思うかということを意識しておく。

が、だいじなことなんだけど、

自分でもいやになる部分じゃないと、

それをなおす?

思い方を変えなきゃいけない部分だな。

とは、気がつかないってことがあるわけだ。

実際、痛みもなにもなく、

前世からの「知らせ」かとおもうような、

たとえば手を怪我した人をみたときに、

どう思うか?なんてことまで、前世に差配されてる部分で

その思いがもうしおくりになってもいいか、どうか。ということまでは

考えないものだと思う。

憂生も実際あとになって、

そのとおりにことがおきてるわけだ。

で、そのときに思った思いが結局自分のことになってしまう。

たとえばであげたことでいえば、

「自業自得だ」とおもったとすれば、

自分が「自業自得」の目にあう。

そんな風にいろんなところに、前世が潜んでいる。

そして、また、同じような思いをわかして、

来世につないでしまいやすい。

結局、輪廻というのは、一つに思いの連さだから。

この連鎖を自分の世でよい連鎖にかえていかなきゃならんのだと思う。

思いが元で因果ができる、

それが、つながっていく。

つながるなら、徳をつなげたいだろう。

結局、自分が前世のつながりの中での代表選手みたいなものだろう。

今は自分しかいない。

だけど、前世は自分のいろんなところに潜んでいる。

気がつかないでいるだけだと思う。

と、まあ、こういうような考え方とかも、物語の中にしいている。

で、ついつい、

こんなことを書くから

憂生さん、陰陽師?

宗教関係?なんて、きかれるわけだけど、

じぇ~~んじぇ~~~ん関係ない。

おそらく、これも、前世がかかわっていて、

憂生におしえてくれてるんだろう。

なんか、しらないが、

前世占いだと、聖職者か賢い奴隷だったらしい。

どっちかというと、賢い奴隷の解説のほうがあってたな。

仲間のために、環境をかえようと、いろいろ努力したらしい。

自分というものの精神環境を変わってきた部分も

ひとつには、友人を思ってということからだったし、

小学生の頃から、友人がいじめられてたりしたら、

一人でも多人数にたちむかって、友人をかばうなんてこともあったから、

おそらく、賢い奴隷というか、

反骨精神にとんだ正義感の強い奴隷だったのだろう。たぶん・・/笑

前世・・2

昨日、前世についての考察?をかいてみたけど、

まあ、これを自分にあてはめてかんがえてみることにした。

で、前世占いでは、賢い奴隷という結果にこじつけましたが、

実際問題、前世がはまるという問題で、いえば、

その前世だけじゃないなって、おもうわけです。

前世にも前世があり

前世の前世にも前世がある・・・。

で、賢い奴隷?がどの前世だったかわからないけど、

この奴隷の気質が一番憂生の気質を形成している、濃い存在なんじゃないかと思うわけです。

で、その気質がず~~とひきつがれていく。

ところが、憂生には妙なセンスがあります。

そのセンスだけをみていると、前世は霊能力者かなにかじゃなかったかとおもうわけですが、憂生はどうも、そうじゃないと思っています。

で、ここまでの話は「魂」ってことになるのですが、

この「魂」がどこの体にはいるかという段階を考えます。

で、妙に正義感の強い霊能力者というのが前世だったとします。

この魂には、正義感と霊能力?が備わっています。

そして、うまれかわるときにどういう場所にひきよせられるかというと

その正義感と霊能力がマッチする場所にひきよせられるのです。

ところが、人間の体というのも、血の連鎖です。

血の中に「思い」が溶け込む。

と、いうことを考えます。

そこで、憂生の逆からの考え方です。

正義感と霊能力?がそなわっている魂はどこにうまれようかってことになったときに

この「血」の中のおもいをみるのです。

どうやら、憂生の先祖というのも、「人助け」をしていた徳の高い先祖だったらしく、

この「血」に「魂」がひかれて入っていくわけです。

奴隷の気質という部分でも仲間を助けたというならば、その魂は

当然、そういう「血」に惹かれると思います。

で、生まれた。

やはり、前世の部分が出てきます。

そのままでいくと、憂生も霊能力者になってしまったかもしれません。

ところが、徳の高い先祖の血というのが、憂生を霊能力者にさせないということをさせます。

色んな経緯がありますが、ここはちょっと、省いて

結果的には、今、霊能力じゃだめだという考え方を自分で?さがしあててきているわけで、

問題は自分が良い思いをもつということを書いたと思いますが、

これが、いわば、「魂」自身です。

「魂」自体をよくしていく。

そこから、魂が持っている力(霊能力かもしれないと思った力)を

自分で発動させるように変えていくわけです。

魂が持ってる力を霊につかわせたら、霊能力者になったと思います。

おなじように、神につかわせたら、神道家・巫になったのかもしれません。

そんな風に自分が思ったところで、そこになるわけでしょうが、

どうも、憂生の先祖?というのが、

「自分の力(徳?)でいろんなことを解決していったり

人柄とか人格で、人の相談にのったり」ということをやってのけてたのではないかと思います。

ですから、なにかの力に利用されたり、何かの力を利用したりというのが、

自分のことでないということがよくわかっていたのでしょう。

その影響で、憂生は、霊能力とか、こういうものが、本当はあまりよくない。と、いうことにきがつき、

どういう風に良くないかではなく、

本来どうあるのが本当か?ということを考えるようになってきたのだと思います。

ですので、霊能力者になろうと思うならなれるかもしれないけど、

憂生はお断りです。

と、いうのは、この部分です。

で、実際、今も、憂生の周りでこういう事が起きてますよね。

霊能力があったほうが良いのかなと思ったら

憂生のほうに、助けをもとめてくる「なにか」が居る。

なんで、憂生に助けをもとめにくるか?

憂生が文字で

「霊能力じゃだめだ」と、いうことを書くから。

それをよんでからでしょう?

憂生のほうの憑依現象がおさまりましたから。

前世のところでもかきましたし、ここでも少し書きましたが

「自分の思いでそれになる」

だから、霊能力者になった人はそういう力を霊能にする思いをもったということでしょう。

ですが、この人の場合、

「霊能力をもってはいけない」(あるいは、もっと、違う段階のことにその力をつかえ?)と、思わされるのです。

ところが、どうしても、心の弱い部分で

霊能力があったら、便利?とおもってしまう。

それで、こんなことを書いてる憂生のところにひっぱってきて、

そして、憂生の体質?で、そのひっぱってきたものの「思い」をひろう。

「わかるように言ってくれ」

でした。

憂生はこの力は自分のことに使われるものだと思っています。

こういう不思議なことをやって、その人の思いを救うような事をしているようにみえますが、

憂生は、このことは、自分のことだと思っています。

来た人にどう思うか。

と、かきました。

「霊能力じゃだめだ」

と、思います。

これが憂生自身への回答なわけです。

ですから、憂生自身が霊能力じゃだめだという方向に向かうわけです。

冷たい言い方をしますが、霊能力でよいと思うなら霊能力でやっていけばよいとおもいます。

その結果は自分でつくっていくしかないわけで、

それができなかったときに、

霊能力者になってはいけないととめにきた「なにか」のいっていたことが、

こういうことだったのかと判るわけですから。

ただ、「なにか」が動いてまでとめにくるのですから、

それ相応の「思い方」をきたえなけりゃ難しい。

それがあったら便利だとかいう自分かわいいの思い方ではまちがいなく、

ろくなことにならない。

多くの霊能力者は自分のその力を活かしたいと思うわけでしょう。

ですが、言い方をかえると、

その力で生活するしかなくなってきた場合、

それを金もうけできる、相談とか鑑定とか、一見人のためをするわけですが、

本来は自分の思いをよくしていくもので、

自分の思いをよくしていけば、

自然とそんな力が出てくるものなのです。

そこが、逆になっている。

そういう能力があるから、人の相談にのろうとか、たすけようとかするわけですが、

何度も書きますが

それも順序が違う。

相談ごとも「来た人にどうおもうか」という部分で

自分が助けられているわけです。

そう考えると、前に書いた

「相談にのってあげるという人。救ってあげるという人の方が、

本当は相談に乗ってもらわなきゃいけない自分、救ってもらわなきゃいけない自分がいる」という事がわかると思います。

自分に無いことに関らない。これが本当で

憂生もこうやって関っている部分はやはり自分のことであり

どうやって、こういう考え方を自分の物にするかという部分で

こうやって文章にして、自分の肥やしにしていこうとしている部分があります。

自分からの自分つくりの為への発動でしかないわけです。

この段階がいつまで続くのか判りませんが

対象とするのは自分であり、自分の思い方だと思っています


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