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良い風に考える

ある女性。

彼女は、見えるタイプでもあり、

触感?もあるようで、足をひっぱられるとか、

ラップ音がきこえるとか、

息がきこえるとか、いう状態にあった。

常々思うことだけど、

霊能力者なら、いざ、しらず

通常にそういうのが頻繁に見えたり、聞こえたりすることは、

本当はよくない。

そういう霊的なレベルに自分が下がっているということでもあるから。

このレベルというのが、実に妙なもので、

友人の霊能力者(では、ないが、わかりにくくなるので、そう書く)と、

神道家にある、「友人」をみてもらった。

その友人の部屋に友人の亡くなった恋人がいたらしい。

それに対して、霊能力者は

「男の人がいる(もちろん霊)」と、いう。

神道家は

「餓鬼がいる」

このパターンはほかのことでも、同じで

霊能力者は

「憂生の死んだ弟と水子が憂生を心配している」

神道家は

「餓鬼が二人いる」

その見え方が良いとか悪いとかいうのでなく

見え方が違うということ。

単純な考え方だが

高さという単位で考えたら

人間?の目の高さなら「犬」が居る。

と、みえるものでも

山の上くらいからみたら

「なにか、動く獣がいる」

と、見えるというのがあると思う。

そういう考え方でいうと、

霊の存在が見えたり、聞こえたりするというのは、

霊などと同じレベル?(近さ)になっているということ。

これは、よくない。

通常、霊などは、見えないのが普通。

それが、頻繁に見えたり、聞こえたりするという事は

同じ近さにいるということ。

同じ近さというのは、どういうことか?

「死」ということ。

もちろん、死期が近いとか、そういう事じゃない。

死んだような状態。

つまり、

「心が生きてない」

「死んでしまいたい気分になっている」

「なにか、沈みがち・・ふさぎこむ」

と、いう状態が考えられる。

実際、先にかいたようなことでも、

憂生自体、「心がしにかけ、本体もしなせようとしていた」

わけで、こういうときは、類友もきやすいし、

おなじような「思い」をもつ霊もよってきやすい。

その結果、ますます、みえてきたり

変な人があらわれたり?する。

すると、もっと、落ち込むし、

増幅されやすい。

一番の解決は「明るくなる」

そのために悩みやふさぎこみを

どういうふうにかして、良い見方にして、思いをきりかえていく。

こう言う風にしていくと、

しょうもないものは、よってこなくなる。

友人の科白が冠たるもので、

「幸せな時は見えない。不幸(ふさぎこむなど・・心がマイナス状態)な時には見える」

見えないだけで、居るのは、居るかもしれない。

だけど、幸せな状態というのは、たとえで言えば

まさに天に昇るような嬉しさという表現があるとおり、

天くらいの高い場所に行っているわけだと思う。

それで、地上の犬をみて、犬がみえるだろうか?

見えないよね。

犬のほうだって、友人がどこにいるか、わからないだろう?

まあ、極端なたとえかただけど、

「心が生きている状態」と

「心が死んでいる状態」とでは、雲泥の差がある。

そして、多く、見えるとか、なにか、落ち込んだり、

病気になったりする人は

まちがいなく、

「心がよわりかけている」

その弱らせているのも、多くは

「物事(思い)をどういう風に良く(喜んで)掴み取るか」が見つけられずに居る。

一言でよい風に掴み取る。

と、憂生も簡単にかいているけど、

これは、なかなか、むつかしい。

ところが、

「自分が喋ること・思うこと」に回答があるということ。

だから、憂生はいろんなことを、書いてきた。

亡くなった友人がふさぎこみからはいあがりはじめ、

悲しい事件のこともしゃべりはじめたとき、

憂生は、それを喜んだ。

喋る。話す。などは、自分をとじこめている世界の壁をこわすということでもあり、

喋る・話す・は、「浄化作用」「昇華作用」「整理作用」をもたらす。

もちろん、ただのおしゃべりじゃなくて

悩んでいるなら、その外枠でも言葉にしていくということ。

たいてい、答えはその言葉の中にある。

そして、次におきるのが、じゃあ、どういう風に見方・思い方をかえていくか。

と、いう具体的な部分。

これは、今、憂生自体が実践していっている。

こう考えれば、ああ考えれば・

と、考えでなく、思い方がきりかわる見方を探している。

見方がかわれば、思い方も変わる。

すると、芋蔓式に見えていたものまで見えなくなる事がある。

これは、自分のレベルが一歩上がったという事だと憂生は思う。

けっして、特殊な才能がなくなったわけでなく、

観なくてもいいものがみえなくなった・・。

低い?位置から、自分が高い位置にきたから、

みえなくなっただけということもあるわけで、

そこらへんをおもっても、

やはり、普通の状態が一番ベストであり

変にふさぎこむときは、

まず、その問題点の整理を始める。

そして、さいごには、「よかった」といえるように考える。

すると、いつのまにか、

「きにしていたこと。悩み事」だった物事が

気にならなくなる。

筈/笑

じっさい、憂生もそこのところと格闘中でもあるわけで・・・。

えらそうにいえることじゃないけど、

だんだん・・良い風にかわってきているなとは思う。

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