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つれづれに

物語をかいていくにあたって、
憂生は自分のある部分と向き合ってしまう。

これを書く前にいくつか、思うままを書く。

何の関係もないようだが、憂生の中ではつながっていく。

まず、古事記・・・。
憂生はこれを古事記とは、呼ばない。
中朝事実。
と、呼ぶ。

中朝・・王朝の朝である。
つまり、天皇の系図というか・・。
ひとつの家系の古代史であるという見方である。

そして、伊勢神宮内のダビデの星。

これが、憂生の物語の中でひとくさり、ひかかる。

さて、話を中核に戻す。

憂生はなんどか、書いたと思うが
無神論者である。
が、なにも信じないという意味合いでないので
有神論者という言い方のほうがあっているかもしれない。

簡単に言えば、八百万の神・・つまり、森羅万象はもとより・・小さなものにも
神なる存在が宿るとも考える。

無論、それは、人間の畏敬の念から発する感情でしかないとは思う。

ただ、前にも、どこかに書いたが
遠足の前に枕さんに7時に起こしてくださいとお願いするとか、
誰も居ない人の家の庭先に入るときに
「ちょっと、お邪魔しますよ」
と、なにか?誰かに?に声をかける。
家を守る神のような、そんな存在に声をかけるのかもしれない。

まあ、極端なたとえしか思いつかないが、こんな風にありふれて、物や空間にも、神もしくはそれに近い存在があると考えるのであるが、

無神論者、いいかえて、有心論者である憂生は、宗教をすいていない。

それが、なぜなのか、憂生なりに考えさせられているのが、今回の物語のせいでもある。

まず、元々の宗祖はそうではないのだろうが、信仰の形態が変わり、
ひどく、排他的である。
ひどいところになると、他の人の信仰の対象である神、仏まで否定し、排除する。
自分の神が唯一であるのは、自分にとってであると、おもうが、これが聞き入れられない。
一度、錚々たるいさかいをやらかしたことが有る。
はてに、わが神を侮辱すると、論旨がさかさまになってきた。
まあ、このあたりについては、
墓穴をほってしまったのは、向こうである。
申し訳ないが、あなたの神を侮辱する気はない。
だが、侮辱されたと考えるなら
あなた自身が侮辱の対象である。と。

簡単に説明する。

もしも、その人間がすばらしい人間であったら、その人格に触れた相手は、
その人に影響を与えた神もすばらしいと感じる。場合によっては聞かされた人間も入信するかもしれない。

その逆がこの場合。
無論、すばらしい人格者などになれないから?そこを目指すがゆえに信仰を得るという場合もある。
だが、そうではなく、問題は自分の神が否定されたと感じた人間がどう悟るかだということ。

我足らずゆえに信仰する対象まで侮辱されることになった。
相手にあやまれでなく、自分がわびるしかなかろう。
それが、逆に相手を落とす。

まあ、こういう排他的なところだけをとって、すかぬといっているわけではない。

憂生は実に古臭い考え方である。

唯一神であろうとするところが嫌なのである。

憂生は己の中にこそ神が居るというかんがえたである、
さながらいつか、書いた精神病院のジョークさながら、神は我の中にありと考えるのであるが、

それとて、唯一神になるんじゃないかと思われるかもしれない。

だが、通常、世間一般の唯一神は自分を下におく。
神の僕という言い方もあるかもしれない。
だが、自分の中に神ありと信じる憂生にとって、尊い自分がなにかの下につく程度のレベルであってはいけないとも思う。

そして、先にちらりと書いた古い考え方。
封建時代・・どころではない。
信長の時代の考え方によく似ている。

民の信奉対象が一国を統治するものか、天皇でないは、国の存続にかかわる。

この考えをせばめて、考えると
亭主より、女房より親より子より
大事なものが神になる。

逆の立場で言う。

俺は神の二の次か
私は神の二の次か

神がいうから、そうするか、
教えを実践しているだけで、
本当に大事なのは私ではない。

いや、だれしも、自分が一番大事だろうとは思うがあからさまにやってしまうのが恐ろしいのである。

こういう考え方は憂生の偏見でしかないと思うが
これが特に中朝になってきたとき。

天皇自体、無私の立場で物事を行う。
そして、第一義は「国民」である。
その后なる人が、宗教をもったまま、皇室にはいった。

古い考え方はまだ、続く。

女たるもの第一義を夫にせよ。
と、思う。

だが、信仰は唯一神である。

不敬罪に訴えられかねない内容なのであるが、
憂生はこのあたりで、なぜ、こういう人を皇室に迎え入れることになったかという疑問を持つ。

人の恋愛感情を言うのでない。

そこで、多少、話が物語りに結びついてくる。

どこかで、唯一神の宗教を受け入れる結び・・血の交わりがあったか?

物語に似たフレーズがあったと思う。

そして、その話がこの日記の最初に戻る。

伊勢神宮にダビデの星。

天皇の血筋についてはいろいろな物議があるが、現状、民を思うというこの生き様に徹する存在は日本の宝珠であると思っているし、また、章を改めて書きたいが、天皇と宗教には大きな違いが有る。

で、まあ、このダビデの星をみて、
なるほどと思ったのである。

すでにここに、唯一神が皇室に混ざりこんでしまう基があったのだと。

物語をかきすすめていくと、どうしても、歴史は繰り返す。
つまり、因縁は繰り返すというところに突き当たる。

天皇をして、巫的存在であると書いたこともあるが、宗教概念と国家には、切り離すことができない深い因縁があるようだ

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