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霊現象について・・

どこかで書いたとおもうが、霊現象なるもののこと。

憂生はこういう霊の存在とかは、否定とか?肯定とか?

そういう段階で考えていない。

憂生自身は霊能力者ではないし、

白蛇抄の中で政勝にいわせているが、

「某は何かの力を借りて、法力をもつのは好かない。

己自らの力で・・・云々」であるわけで、

まあ、己自らの力なるものは、誰にでもあり、

その際たるものは、実に穏便に生活していける。と、いうこと。

これが、一番すごい能力だと思っている。

平々凡々、変な?能力もないし、

ごく普通の人。

こういう風にあるのが一番すごいことだと思うんだけど、

世の中の人は、その「すごさ」に気がつかず、

時に、霊能力者とか、神道家とかが持っている能力をすごい。

と、思うわけで、

そういう風に書くと、

「いや、実際私も霊に取り付かれて、払ってもらった」

とか

「守護霊をみてもらった」

など、いろいろなことで、すごいと思うというだろうと思う。

でも、憂生はそれは、逆を言えば

霊にとりつかれる自分がすごくなかっただけだというわけですよ。

で、霊を払うという事だけを言えば

確かにすごい力があるわけで、

その霊をちゃんと成仏させてあげるところまでいく能力もすごい。

と、思うのですよ。

でも、憂生は一風変わった人間ですから

霊をはらうとか、霊を成仏させるとかの問題より、

霊に取り付かれてしまう側の問題を考えるわけです。

とり憑かれるだけの理由があることがおうおうにしてあるわけです。

そこの問題を是正していかないと、

霊がはらわれても、

自分の「問題点」は依然としてある。

この考え方も白蛇抄であつかっていますが、

「思いを救わなければ、本当に救われない」

と、いうことであり、

救うのは、霊でなく、自分の思いのほうなわけです。

思いというものが、いずれには、因縁になっていくわけですが、

例えば、生きていても仕方が無いと死んでしまった人が霊になる。(と、します)

そして、今度は

生きてる本人が「死にたいな~~~」とか、思います。

同じ思いですから、霊と波長があって、取り付いてくるというか

とりつける条件が整っているわけです。

で、とりつかれた。

そこで、除霊をしてもらう。

払ってくれた人をすごいとおもうかもしれません。

でも、「とりつかれる条件」=「本人の思い」はちっともかわっていない。

なにも救われていないわけです。

もう一歩すすめますと、

霊も結局、すくわれていない。

成仏させても、また、生まれ変わっておなじことをクリアーさせられることになり、

へたすると、また、霊になって誰かに取り付く。

この霊ごと救うなら、自分で「本人の思い」をかえることなのです。

とりついた霊も同じように「因縁感情」をけしさっていくことができ、

成仏して、生まれ変わっても、「生きていくぞ」って思いで生きていけるようになる。

つまり、除霊というのは、本人がしっかりしていれば、

自分でできてしまうということでしょう。

もうひとつ、いえば、

自分の前世の因縁とか先祖とか。

こう言う人たちの中には、「救われていない」ひとがいて、

「本人」をつかって、クリアしてもらいたいと寄って来る場合もある。

それを除霊したら、たしかに霊障はなくなるのですが、

それは、自分だけの問題で、

子孫?とかこう言う人たちが、また同じ目にあうわけで、

そこを考えると

「問題は以前としてあるわけです」

人間というのは強いものです。

クリアしていけるだけのものをもっているとすがってくる場合もあるわけで、

すがってこられる元の思い「死にたい」とかが、増幅されてしまうわけです。

自分だけでなく一緒になって、霊もおもうのですから、

効果倍増(え?)

でも、やっぱり、人間というのは強い。

「生きていくぞ」

って、思いにきりかわっていく。

その時にとりついていた霊の思いが昇華され、納所していくわけです。

こう考えると、

本人は気がつかないうちに

霊も自分も救い出してるって事がありえるわけです。

ときに、「死にたい」なぞと思った人。

これは、ひょっとすると、自分の思いなんか、1くらいしかなくて、

霊に増幅されて100くらいの思いになっているかもしれないわけですよ。

つまり、99は霊の思い。

だとした時、それで、本当に死んじゃうって、馬鹿みたいじゃありませんか。

99%たぶらかされて?死ぬ。

で、憂生がちょっと、よみにいっていた霊能力者さんがかいていました。

90%↑の自殺者の霊が、「死にたくなかった」というそうです。

↑の事をかんがえてもわかりますが、そういう人たち(霊たち?)というのは、

増幅部分にのみこまれて、死んでしまったわけでしょう。

それが、また、だれかにとりついて・・。

ますます、強大な「死にたい」をけしさろうとして、

誰かにとりつく。

このくりかえしになるわけですが、

問題はそんなことでなく、「自分を強くする」

「おいおい、この死にたい感覚がつよくなってくるのは、たぶらかしだぞ」

と、自覚しておく。

これだけでも、変なたぶらかしから、自分を取り戻すことが出来る。

まあ、先にかいたように、憂生は霊能力者でも神道家でもありませんから、

そういう方たちからみたら、違うよということを書いているかもしれません。

ですが、こういうことをいうのは、自分の経験、かかわりなどから、えてきたことですから、なかには、当てはまる人がいるとおもいますので、

いちど、こういう考え方も考察に入れてみてください


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