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ニギハヤヒ発見(美保神社はかなり、重要・5)

スサノオを祭る神社として、剣神社が福井県の嶺南、織田に有ったことを思い出した。

随分、近い所にすんでいたことがあるというのに、ここには行ったことがなかったので、様相がわからないため、ホームページなどにとんでみたのが、きっかけだった。

神社の様相から、天津神として祭られているか、国津神として、祭られているか・・、判るかもしれないと思ったのである。

ところが、拝殿の様相が違い、判断材料が見当たらない。

気比神宮内の剣神社(覚え違いか・・・)も、やはり、この織田の剣神社の如くだったと記憶している。

ここで、ますます、迷路に入ったといってよい。

この剣神社の様式を考えたとき、なぜ、「けんがい」を作っていないのかという事である。

考えられることはふたつ。

1つは、「けんがい」の様式がはいってくるのは、もっと、後年である。

剣神社の建立がいつごろだったか、と、なると、これが、神宮皇后の頃。

うむむむ・・・。

もうひとつ、かんがえられるのが、建立したのが、誰か?

織田という名前でもわかるように、織田信長関係であり、実際、織田神社もあるようだが、

ひょっとして、織田氏が建立した?(再建・・)

皇族でないものが、奉ったため、「けんがい」を設置できなかった?

剣神社というくらいだし、武士っぽい。越前刀工との近さや、つるぎ・・敦賀・・と、気比神宮とのかかわりもあって、織田氏が?と、思ったが、出展によると、忍熊王。やはり神宮皇后の代である。

う~む。

てづまりになったので、あちこち、ジャンプし歩いた。

そこで、発見したのが、↓

記紀の国譲りの段に、大国主命が事代主命へ使者を出した船として「天鳩船(あめのはとぶね)」が登場します。これは「熊野諸手船(くまののもろたぶね)」とか、天鳥船(あめのとりふね)とも呼ばれ、卜部氏系の武甕槌命<(たけみかづちのみこと)や、物部氏や尾張氏系の伊福部氏の祖、饒速日尊<も乗っていたと伝えられます。
現在も、美保神社(島根県八束郡美保関・祭神:事代主命)では、勇壮な諸手船神事が行われています。「熊野」というのは「畏」で、「大きい」「畏れ敬うべき」という意味での「くま」でしょうが、熊野大社(島根県八束郡八雲村熊野・出雲国一宮)の祭神、神祖熊野櫛御気野命(かむろきくまぬのくしみけぬのみこと)は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と言われていますし、美保の事代主命は、熊野の先導者である賀茂建角身命神の兄弟ですから、何か因縁を感じます。 ******

ぜんぜん、無関係のようであるが、憂生にとっては、重大発見。

まず、 美穂崎神社について、書こうとしたとき、三の紋についての不思議だといったときに、

伊予の河野氏があるいは、ニギハヤヒを天孫としてつれてきていたのではないか?

それが、天津神として、祭られているのでは無いか?

と、かなり、無茶なことを、書いた覚えがある。

ところが、上の出展によると、どういう位置にいたかは、さだかではないが、確かにニギハヤヒがこの土地に居たという事に成る。

さて、改めて、由緒のほうを、検討してみよう。


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