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人生は螺旋階段~~~♪

過去日記を掲載しているが、其の頃の物事の把握の仕方が浅いということがある。


物事自体の捉え方が薄いというのもあるが、


後年になって、


気がつくことがある。


これも、よく言う言葉だけど、


「人生におこる物事、いっさい、無駄はない」


これは、相方AKIRAがくれた言葉。


憂生の言葉


「目の前に起きる事象はすべて、己に元がある」


と、対を成すというか、進化形の言葉だと思う。


だから、目の前に起きる物事は自分の何かの役にたつ(無駄がない)ことを

知らせたり、経験させたりしているのだと、前もって考えるくせが付いてきた。

もちろん、目の前のイベント?で、何をおしえているのか、

その時点では解からない。


だが、それなりにその時点で思ったことを書きとめておくのも良い。


案外、この思い方がいけなかったんだと解かることもある。


下のスレッドにかいた事象もやはり、

「目の前に起きる事象はすべて、己に元がある」

であり、

「人生におこる物事、いっさい、無駄はない」

であった。


当初、何故、こういう人たちを見せられるのか?


と、いうかすかな疑問が胸にあった。


たてつづけに、精神異常や鬱病や自殺、分裂症、境界異常,依存症、自傷、自殺未遂、PSTD


病名がわかったのはあとからであるが、こういう症状の人間と遭遇していった。


そして、病気のもつ症状をはっきり知らなかったとも、いえるが、

ひとりの人間を自殺未遂にまで、追い込んだことが在る。

(このあたりは、もっと、複雑なので、いずれ、詳しく話す)


余談であるが、先ほど訪問者様のところへお邪魔したときに

鬱病のことを生徒にどう話せばよいか。

と、いうことがかかれてあった。

もちろん、其の言葉だけでは、判断できないことである。

自分が鬱病だから、生徒に理解してほしいということなのか、

鬱病というものを話す必要性が見つけられないから

話す目的が見つからず、どう話せばよいか?

と、いうことなのか?

まだ、いろいろ考えられるが後者の場合を思う。


鬱病や精神異常の類によっては、病気であることがわかりにくい。

仮に病気だとわかっても、こちらの、一言で「自殺」まで、決行するとは考え付かない。


生徒に教えるとしたら、こういう部分だろう。


そういう病気をもっていることがわかりにくく、

知らずのうちに、死をまねく、一言を発することがありえる。

その具体例は、医者がいくつも出している。


この「一言」については、別段、病気の人に対してと言う心配りばかりではなく、

通常の社会生活に必要な礼儀であろう。

それが、今、崩れ去り、言葉の暴力などにより、病気でない人まで

病気にしている。


つまり、精神病への対処ばかりでなく、精神病発症の一つの要因を崩せる。


言い換えれば、精神病患者を作るのは「あなた」のあり方ですよ。


だからこそ、「思いやり」から発する(暖かい言葉)をもちましょう。

暖かい言葉は(相手を思う)心から発せられます。

相手を思う、「大人の自分」になっているか、

精神異常の人を見かけたら、他人事と思わず、自分を振り返ってみてください。



あ~~~~。

横道ぞれすぎた。


で、そういういろいろな物事で知ったことが

現実で、精神異常をひきおこしていた人間に対する対処の仕方を教えてくれた。


おかげで、身近な人間を病院送りにすることにならずにすんだ。


こういう風に、今は、全然、関係のないように見えることでも、


「人生におこる物事、いっさい、無駄はない」

「目の前に起きる事象はすべて、己に元がある」


の、ように、自分の中に「役(にたつ)・為(になる)」を蓄積することになる。


だから、

「なんで、俺はこんなめにあうんだ」

とか、

「なんで、私はこんなめにあうんだ」

と、思うようなことでさえも、

いつか、「あのおかげで(良くなった)」と、いえるようになる日が来る。


素人が精神病患者の治療や個人領域に意見?をすることは、

治療領域にはいりこむことになる。

それは、いけない。

と、言われたことがある。


だが、多くの経験から

そして、精神病者自体からのアドヴァイスもあった。


「とにかく、吐き出させる。受け止める」


これを基本にしていった。


それは、聞くに耐えない、聞けば、こっちまでおかしくなるような悲惨な状況も含む。


吐き出すほうも、よほど、こっちを信じてないと出来ない。


反対側で、聞いたことにこっちが打ちのめされていては、うけとめられないということになり、

話す側も話せなくなってしまう。


自分の話すこともつらいのに、それをきかせたことにより、相手まで苦しい思いをさせてしまう。

そんな自分って・・・と、自分を責めだす。


そんな思いをもたせちゃいけないと、平気をよそおい、むこうが回復したあとで、

逆にこっちが軽い鬱病(とは、違うな・・・気落ち?)になって、他の事も重なり

かなり、水面すれすれを飛行し、

「書き留める」

と、いう客観世界に不時着した。


それらの体験を軸に、自分をまとめてみるためにも、あちこちの精神病患者との遭遇をセンテンスにして

「白い朝に・・・」と、かいているのであるが・・・。


それを書きながら、自分でも、なぜこんなことを書くのかとも、思う。


だがそれらもきっと、


「人生におこる物事、いっさい、無駄はない」

「目の前に起きる事象はすべて、己に元がある」


の、ように、自分の中に「役(にたつ)・為(になる)」を蓄積することになる。


の、だと思う。


じゃあ、また同じことが起きる?


そうかもしれない。

人生は螺旋階段。

ぐるりと一回りして、見渡す風景は、さっきと、ちっとも変わってないが


確実に上にあがってる。


それが、自分にはわからないだけで、

あがるにつれ、

見えなくなる部分も

見える部分もちがってきて、


いつか、はるか、目の下

なにがあるかもわからなくなるほど、

自分には、(良い意味で)遠い物事になるんだろう。


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