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ナイン・・・の話。

そういえば、この笑う女をFC2小説に挙げていた時に感想がはいった。

削除して、なくなってるので、ニュアンスしか、覚えてないが、

正直な思い、「なめとるんか?」ってな、思いだったな。

こういう問題を小説にしてあるということ自体に、

読む側は、とまどいを見せるだろうとは思う。

ルポ(ドキュメント)として、とらえるべきか?

読み物として、捉えるべきか?という思いだったようだが、

「嫌悪感」ににたものが、最初に沸いてくるとは思う。

だが、その後ろ側にあるものを、いえば、

どこかで、

「面白半分でかいているんじゃないか?」的、(うまく、いいあらわせないが・・)

簡単に文字にしてしまえるのだろうか?というのは、書く側より、むしろ、読む側のほうが持っていると思う。

が、これは、いいかえれば、

「まともに捉えていないだろう」という憂生への疑いでもありえる。

憂生は、その人の読み方に対して、活字依存症であると、言ったが、

それは、↑にかいた部分でもある。

「憂生という物書きは、どうとらえるんだろうか?」と、いうようにいえば、わかりやすい。

文章のうしろに人間がいることを忘れている。

活字だけをみて、嫌悪感や、どう系統わけするかを考える。

同じように、嶺上開花の感想があるが、

ー憂生は介護の仕事をしているのか?-という一言がある。

憂生もおそらく、何故、この作者はこういうところに着目するのだろうか?というものをもつ。

文章という「読み物」だけを楽しむ人は多くいるだろうが、

作家・物書きのその人物を読み込もうとする人はすくないのかもしれない。

だから、どこかにも書いたが、

文章に自分の映し身がはいる真剣勝負の作家ーなどというたわけた視覚で物を言う。

映し身はいやでもはいる。

読み手としての憂生はそこを読む。

その映し身が、あまりにちゃちだと、別件の書き手さんのように、読んでいて、「ぼろ」を見せてしまう失敗にもなりえる。

自分がどのような読み方をしているかというか、

文章から作家をかぎとっていくということが念頭にない人は、

また、妙に、自分を披瀝する言葉をはいてしまうわけである。

その意見がさも正解の如くに思えるだろうが、裏を返せば、些細な文章の中に作家を嗅ぎ取る嗅覚にかけていると豪語しているわけである。

むろん、こういう、もう一歩、ほじくった見方をする人間がいるなんてことに気がつかないのだろうし、その言い方がつうじていたんだろう。

まあ、単純な文章一つの中にも、それら「作家のコア」みたいなものがはいっているわけで、

このあたりを、嗅ぎ取る人間はいる。

エイチクンとかね/笑

そこらへんのところのかぎとりは、かすかでしかないようだが、なんとなく、違うぞ、この人はと、文章でなく、作家をみている部分があるようで、期待できる人間だと思う。

文章を書くというのはいわば、「人間」をえがく・・だからね。

読み手側に入った時の感覚がそのまま、文章になるんじゃないかと思うから、

作家(人間)を読まない人は「読み物」しか、書け無いんじゃないかと、思う。

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