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なんとなく、物思う

いじめの構造というものを考える。


いや、正確にはいじめられる構造だな。


これは、日記のどこかに書いたが

「自分を苛めるものは、人にも苛められる」


って、ことに通じる。



この間も中学生が立て続けに自殺していた。


そこにもこの言葉をあてはめるのは、おかしいと思われるかもしれない。


だが、大切な自分だったら

なんとか、生きていこうとする。

生き難くさせる「いじめ」などを解決・排斥することに努める。


教師に相談する。親に相談する。

もっとも、親身になって動いてくれるはずの親に相談しない。


何故、親に相談しないか?


問題がややこしくなる。

苛められている自分だということをさらけ出したくない。


色んな理由が有ると思うが


やはり、

根本のところで

「自分を苛めている」


どうせ、苛められるようなつまらない自分と

考えてしまう。


苛められることで受け取ることは、

「そこまでされる自分は、つまらない人間だ」

と、存在価値を見失い

この先に対しての希望が無くなる。


なにかの漫画で

「嫌われるより、無視されるほうがつらい」

と、いう言葉があったが

嫌われたことを

自分の存在価値を自分で無視することにより、

嫌われた痛みを庇おうとする精神構造が働く。


ところが、痛みに耐えかね痛みを庇うために起こした

無視行動

あるいは

否定行動が

とんでもない結果をつれてくる。


無視行動・否定行動が

「自分を苛める人間は人にも苛められる」であり

ひいては、いじめを繰り返させる。


苛められている人間は

まさか、自分の思い方が

虐めを増長、増幅させているとは思わず

ますます

自分を否定し、存在価値の無くなった自分だけを見つめる。


この自分内部における葛藤は虐めがなくなるか

自分の存在価値を肯定してくれる人間が現れない限り

延々と続く。


自分の中に「虚無」を飼っている状態でいるのだから、

そのうち「虚無」に飲まれるか

「虚無」との決別を果たしたくなる。


だから、元々の「自分虐めのスイッチ」を、きらなきゃいけない。


自分なんかでなく

自分こそを救い出してやらなきゃならない。

そのための努力・・。

たとえば教師に相談する

親に相談する


これをしないのも、

「自分を苛めてる」


いっそう、同じことの繰り返し。


外側の虐めはむしろ、自分の心の持ち方を見せてくれてる。


苛められている自分ではない。

自分が自分を苛めてる。


虐められる原因は、実は自分の取り方。

その自分にまけているということ。


大切な自分を自分でたすけてやらなきゃ。


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