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自分がいじめても、良いような自分は人もみないじめる

いつだったかの日記に、

「自分がいじめても、良いような自分は人もみないじめる」

と、書いたことがある。



これは漫画、人間交差点の中の

少年と老人の話を読んでもらうと、わかりやすいのであるが。



主人公の少年は同級生の不良?グループにいじめられているのであるが、

このいじめの言葉のひとつに、

少年の母親がキャバレーに勤めていることを

からかうものがある。



いじめにあっている少年は公園で老人にであう。



すると、この老人も

「お前をみてると、わしも、むかむかする。

いじめてやりたくなる」

と、少年に言うのである。



ひどい老人である。

ところが、

そのあとに、

「自分がいじめても、良いような自分は人もみないじめる」

と、いう内容な言葉を少年に渡すのである。



「お前は自分で自分をいじめてる。そんな弱虫はだいきらいだ。もっと、いじめたくなる」

不思議な言葉に少年は老人を見つめる。



「母親はキャバレーに勤めてるんだ。

だから、自分はいじめられて、仕方ないんだ。

お前はそう思ってる」



憂生はとても、うまくいえない。

でも、少年はきがつく。

自分で自分を馬鹿にしてる。

自分で自分をみじめにしてる。



確かに、老人ではないが、憂生も

がんばれよ。

そんな風にとるなよ。

なんていう、思いより、

しょうもねえ奴だ。

みてて、うざってえよ。

どっかいっちまえ。

と、言う思いが湧かぬでもない。



老人の言葉に自分に気がついた少年は

胸をはって、不良たちに母親を紹介する。

「キャバレーに勤めてる、僕の母だよ。

美人 だろ?」



漫画の世界である。

結末はよい風にもってきているのは、当然であるが、

憂生は、

この老人の言葉。

ひいては作者の思いであるが。

この言葉とおりの

心理のくぼみにはまることだけは、

やめようと、

訓をえた。



ぎゃくもいえる。

「自分を大切にするものは人からも大切にされる」



すなわち、



外に起きてくる物事の

本当の原因は自分の心のありようの映しでしかないのではと、思うのである。

さて、憂生の身辺事情はどうであろう。

逆分析して、

自分の思いをたぐりなおさねばなるまいの。

あはは。

えらいこっちゃ。

****で、答えになってはいないが、応えるかも知れぬと思いつつ・・。***
「自分を大切にするものは人からも大切にされる」
自分の
子供 の価値を価値として見てあげて欲しい。
これじゃ、いけないんだろうか?
その思い方はあるいは、貴方自身が子供をいじめ
自分を虐める。

私は素晴らしい子供を持った。

あなた(子供さん)は素晴らしい。

マズ、親がソレを価値にしないで、どうする。

「相手の痛みを思いやることのできない、できてもしない・・・
そうでなければ自分を守れない」

貴方は貴方を忘れてる。
子供が本当に護ろうとしているのは貴方だと思う。
もしも、それで、子供が自殺でもする事になったら?
誰が一番かなしむだろうか?
自分を守ることは親を護ること。

煩悶や苦しみ、責め・・いろいろ、あるだろう。

それで、いいんだよ。

と、苦しまなくて良いんだよ。

今、見てきた事を自分はしないは第一義。

いずれ、親になったときにレイのいうような、卑怯をしる親になれる。

その苦しい思いが子供の心を育ててゆくんだ。

しっかり、見ておきなさい。
だけど、泳げない人間が溺れるものを救うことはできない。
お母さん は貴方に一緒に溺れて欲しくない。
今はつらくても、いつか、泳げる自分になれと教わってる。
そう、かんがえて、自分の肥やしにしなさい。と・・
例えば・・だけどな。

今、貴方の子供は大切なことを学んでる。
大きく成長している。

その芽を伸ばす思いを持ちなさい。

芽を摘む、思い方をしなさんな。

自分に負ける人間を育ててしまうのが
実は親のあり方。


貴方が気弱な受け止め方
自虐的な見方をすれば、そのまま、子供が沈む。

見方を変えろ。

単純に聞いてると
子供を責めてるか、否定しているように聞こえる。

虐められる側にだって虐められる理由がある。

いじめもその角を取らせる大きな計らいとみれば、
声のかけ方も考える。

いじめで対処するんじゃなくて
虐められる原因を掴んで忠告してあげられるバックアップもできる。

でも、それ以前にまず親がいじめもその角を取らせる大きな計らいと考えるくらいに
見方を変えなきゃ成らないだろうし
自身が子供を見る見方もかえなきゃ、

虐められている子供が他の人をてだすけできるだろうか?

まず、親が子供を泳げる子供にする。

オニギリでも例えたけど
自分が飢えているのに、人に施す必要は無い。
まず、自分を救う。
自分が救えて、初めて、人におにぎりをあげられる。
泳げる子を、
オニギリを渡せる子を望むなら、
マズ最初におにぎりを渡せない子供にさせているのは、自分かもしれない。と、
子供を飢えさせる思いを渡しているのかもしれないと、
今回の問題を振り返って欲しい。

上手く、言えないし
厳しいことばかり書いているけど、

子供の姿は親の写し鏡。

まず、自分に元がある。

こう取って行く。

辛いけど、あてはまりゃ、いっそう、
痛い部分あるかもしれないけど、
鏡に映った姿を憂いても仕方が無い。

よく、いう
言葉だけどな・・。
『抱いて・抱いて・抱きおおして』
育ててやれ。

大事なものはしっかり抱き込むだろう?

貴方が大事。

これをしっかり、渡してゆくこと。

「自分を大切にするものは人からも大切にされる」

その自分を大切にする根底こそ親の思い。

それが、欠けた人間が人を大切に出来ず、人を虐める。

大切に大切に考えてゆこう。
子供が打ちひしがれていれば親は庇おう。
子供が増長していれば、しかってやろう。

それでも、忘れずに子供の価値を親がまず最初にうけとめてやろう。

ソレがいずれ

「自分を大切にするものは人からも大切にされる」
そこまでの子供にしてやるのも貴方の思い方次第。

*********また、辛口でごめんな********

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