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まず書評を掲載する。

――「白蛇抄1~14」  -文芸社審査書評よりー

人と鬼と、そして神。
多くの登場人物が絡みあいながら、少しずつ物語の道筋が付けられてゆく。
―読み手は何よりもその壮大で深遠な世界観に度肝を抜かれるだろう。
エピソードはそれぞれ個々に独立はしているものの、前章が次章に、そして、次章が前章と関連しながら、著者の描く世界の拡がりは留まる事を知らない。
番外編4編を含む全十四編の本作品は、複雑な人物相関の中で、人間の業、情愛の深さ、本当の優しさ、そうした「人間」そのものをテーマに描きだした超大作である。

 政勝を主人公とした第一編の「蟷螂」は作品全体の布石であり、続く「悪童丸」では陰陽師白河澄明の存在があきらかにされてゆく。中略。
第5編「波陀羅」までで、彼らをとりまく人と鬼、神との相関関係因縁が概ね紐解かれそれにつれて、本作品の世界全体も膨んでくるのである。
本作品は陰陽師の活躍を単純に描き出す「活劇」でもなければ、単に時代を異にしただけの「恋愛物語」でもない。
登場人物同士の心模様を非常に丁寧に描き出す事によって、男女間、友人関係、家族の中に蠢く、人間の利己心、情欲、葛藤、そして愛情や優しさを浮き彫りにした人間ドラマであり、本作品最大の魅力もこの複雑な人物相関にある。前編では、判然としなかった事が他編で初めて明らかにされる事実によって急に輪郭をもったものとなって眼前に立ち現われる。

読者はまるでミステリーの謎を解き明かされた時の快感に捕われ、ページを括ることをとめられないだろう。・・後略。

 神と人間が交わり、半妖が跋扈する世界を舞台に縺れ合った情愛と怨念の糸を解かんと陰陽師が躍動する本作品は壮大なスケールを持った世界観と具に描き出された登場人物の心の機微が読み手を圧倒する興趣に富んだ物語でした。

それぞれのエピソードを縦糸に、登場人物の想いを横糸として、個々の作品の枠組みに囚われない、作品全体をそのまま背景とした奥行きのある物語が編み上げられており、それが、読者を引き込む魅力となっていたように思われます。
人物の心の襞を追い、愛憎半ばとする相関関係を描き出した憂生様の筆力に確かな物が感じられ、審査員の大きな注目を集めました・・・・

*****
ついでに書評。昨年の話であるが・・
at 2004 05/11 16:09 編集

★8月1日であった。
新風舎に送った作品の締切日がいつか?と聞いていたから、是より早く文芸社の通知がくると思っていた。
が、それでも通常3週間の査定期間と言うから、計算上は8日位に来る事になると思っていたのに8月1日に来ると言う事は是も他作を優先しての審査と窺える。
おまけに担当者も連名になって一人増えている。
送ったのは「蛙」と「ブロー・ザ・ウインド」と沖田君の話し「壬生浪ふたり・俄狂言―恋語り―」の3作である。

評をままにかいてみたい。

● 時代設定も舞台も、それぞれ異なる3つの恋愛物語。
前回応募作の「白蛇抄」同様、やはりこれらの作品にも「憂生ワールド」と呼べる物が確固として存在している。
細かい心理描写の積み重ねによって織り成す著者の人間ドラマは、恋愛というテーマを掲げながらも、決してそこだけには留まらない。とりわけこの三作品に関しては、「人間」と云うものを真っ直ぐ見据え、人が生きるという事を誠実に問う姿勢が終始貫かれており、静かな感動に満ちている。

● まず『ブロー・ザ・ウィンド』は、「大切な人の死」を乗り越えられずに苦しむ女性の葛藤と、そんな彼女を愛し、見守る男性とが次第に心を通わせ強い絆で結ばれてゆくという、恋愛小説の王道とも呼べる物語。
文章には「青さ」が残るものの、心理描写に長けた著書らしく、精緻に主人公らの心の機微を描きとっている。
また「吹き返した風が風見鶏を再びくるくると回らせ始めるとレフイスに早くおいでよといわれているように思えてアランは足を早めた」といった一文に著者の感性の鋭さ、作家としての嗅覚のよさがきらりと光っている事も見逃せない。
おそらく是は、タイトルの「ウィンド」を意識して挿入された一文であろう。二人に「しあわせの予感」
がほんのりと感じられる表現が秀逸である。
構成的にも読みにくさは無い。
だが、やはりきにかかるのは冒頭部分である。振り返って読まなければ判断できない事が多いのだ。

● 次いで『蛙』は、かなり純文学の色の濃い短編小説。
叙事詩的な印象も受け、他の2作品とはかなり趣が異なっている。
主人公の「僕」もそうであるが、この物語においては登場人物が無機質である。
あえてそのように描き出しているのであろうが、とくにRyoukoの感情が見えてこない。
人間の「器」のような存在として描写されており、著者の他作品には見られない新鮮さが感じられる。
さらに云えば、彼女の質感と、アルファベットの「Ryouko」という表記が似つかわしく、ここにも著者のセンスが滲む。ただ、こうした表現方法の場合、主人公の「僕」の心境の推移がどこまで読者に伝わりうるかは難しい所である。「僕」の狂気めいた感情の内に潜む「真実」を見抜けなければ、読者にとっては受け入れがたい作品になってしまう可能性もあるだろう。

● 最後に『壬生浪ふたり・俄狂言「恋語り」』は、3作品の中ではもっとも著者の持ち味が発揮されている作品であるように思う。
本作品においては、土方と沖田という物語の中心人物の輪郭もかなり明確に書き分けられている。
例えば、無花果という花をモチーフに佐部里とお勝の恋を例えた土方の科白や、京の話し言葉の特徴を捉えて土方が論理を展開するくだりには、著者の練達さが窺われる。
土方の人間的な魅力をたくみに浮かび上がらせる事に成功しているといっていいだろう。
本作品中で、もう長くは生きられない沖田は心から土方を慕い、その沖田の心情を思いやる土方は苦悩する。
恋愛とは別に、こうした深い情で結ばれた男同士の関係も本作品の見所の一つだ。
ただ、設定が新撰組であると言う事をもっといかしてもいいのではないか、という欲を禁じえないのもまた、確かである。

● もちろん改善してゆくべき点はあるものの、今回の3作品は著者の力量を改めて認識させられるものであった。
著者は自分の持つ色を失わずに「世界」を描き出せる。
などなど・・・・。

簡単に抜粋して、以上、このようなことでした。

で、最終的に、審査会では沖田君を協力出版で全国出版したいと意見が一致したとのことなのですが・・・・・。

資金がありませんでした。はい!
********
で、なにがいいたいかということなんだけど・・・。
おそらく、さっしはついていらっしゃるだろう。
いろいろと、作品を書いているけれど、
物語の中の主軸というもの・・・。
つまり、憂生の思いいれと、いうことになるが・・・。
コレを的確につかんでいただくにおいて、
憂生の作品はある意味ドラマ性が高いと思う。
故に、平然と性表現もかきつらね、
場合によっては
そういう部分でのドラマにひきこまれ、
底にあるメッセージ?がうまく、象徴できてないと思う。
そういう意味では、文芸社の書評はそこそこに
憂生の思いいれに肉迫している部分があるといってもいい。
そうだなあ。
憂生が一番伝えたいことがなんであるか・・・。
この話をするにおいて、
よく、カフェ日記でも、再三名前をだしたことがある、
パレアナという少女の物語。
何かのアニメで、ポリアンナ物語という題名で
TVで放映されていた話である。
パレアナは喜び探しの名人なわけだ。
孤児だったパレアナが引き取られる先で、
どんなにステキな個室をあたえられるか、夢想する。
ところが・・・。
パレアナに与えられた部屋は屋根裏部屋。
夢ははかなくしぼむとおもいきや。
此処はステキ。だってお星様があんなに良く見える。
足の悪い老人には
「右足が悪くてよかった」
だって、両方の足が悪かったら、車椅子で動かなきゃならない。
自分の足で地面を歩ける。
よかった。良かった。
と、まあ、こんな調子なわけだ。
この事に付いて
憂生はある話を書いた。
無論、発祥は憂生ではない。
思いを切り替えてゆけば、
どんなことでも喜びを見つけることが出来る。
だが、多くの人は
喜びを見つけるための
思いの切り替え方が
判らない。
どうすればいい?
「考えなさい」
答えはこうだった。
考える?
そう、考える。
かんがえるとは、
頭でいっしょうけんめいかんがえること。
一生懸命、かんがえる。
かんがえる、
それはこう書く。
観変える。
どうすれば、観をかえることができるか・・・。
ソノ具体的なたとえがパレアナ。
パレアナは
ものの見方
視点をかえて、
価値観を変換させた。
憂生の作品の多くはここにたつ。
空に架かる橋・・・においても、
レイプでしかない。
慰安婦でしかない。
「あたし」が観をかえた。

So2シリーズという
一見不埒な物語も
観をかえてゆくというところを起点にしている。
白蛇抄に置いては、もっと、緊迫する。
因縁さえも
観をかえてゆくことで、
変転するという。
あげく、その因縁も己の思いがつくるものであるという。
だからこそ、観をかえて、
思いを変えてゆく事が必要だという。
物語のドラマ性にかぶせられているだろうとおもうが、
「人間」と云うものを真っ直ぐ見据え、
人が生きるという事を誠実に問う姿勢が終始貫かれており・・・
と、いうことは憂生にとってこういう事になる。
多くの読者様が
憂生の作品にひかれてくださるのは、
物語を通して
自分がどういきてゆけばいいか、
コレに対峙させられるからだと
自負している。
ある読者様が
憂生のところに来ているほかの読者様をして、
レベルが高いと評価してくださったことがある。
それは、憂生の作品の中におりこまれている
「観をかえてゆくこと」
つまりは、自分の生き様とむきあわされる部分にあえて、挑む
あるいは、ソノ姿勢に惹かれる読者様だから・・・・。
物語の底に流れているもの。
これは、ただのエンターテイメント小説ではない。
そう・・・。
自分の方向性を嗅ぎ取ろうとする、
読み手自身の分身が住んでいる。
無論、一次が万事その作風に仕上がってるとは言いがたい。
からりと性を笑いこめる「新之助シリーズ」という
おちゃらけた作品もある。
憂生は此処最近、
ある投稿所に作品を投稿してみて、
憂生のブログにわざわざ、足を運んでくださる読み手の方との違いをはっきり、意識した。
それが、上に書いた事といってもいいかな。
憂生の作品に惹かれてくれる人は、
真摯に自分とむかいおあおうと
している人だといって、
過言でないと思っている。
つまり、これが、
作品によって知らされる自身という事になるだろう。
自分の作品をそこまで、課題評価するかと
大笑いされそうであるが、
少なくとも
憂生は
真面目に取り組んでいる。
本が生きる糧になりえることがある。
と、
そこまでは、流石にいえないが、
すくなくとも、
「かんがえる」
こと、
「思い方をかえてゆく」
コレは生きるに必要な
「知恵」だから・・・・。


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