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古代史を物にしたくはある。

鑑定団をみていると、やはり、時代物をかきたくなってきます。

時代物は、やはり、明治維新あたりが好きだったので、
このあたりを書きたいと思いながら、
お茶濁しで人情噺仕立てで、壬生浪ふたり・・をかいたのですが、
資料をつきあわせて、というパターンのものでなく、
勝手な想定なものなので、
歴史小説には程遠いものです。

一方で古代史にのめりこんで、
千木などをしらべてみて、
スサノオのあとを追う状態になっていますが・・。

聖徳太子の「和」の精神が、
天を意識したスサノオに基をなす、
日本人が元々持っていた意識ではないかという考えになり、
聖徳太子を書いていこうとしたときに、
スサノオや、大国主命(スサノオであるという説がもっぱらなのですが)
を、えがいていく。
越の国のぬながわひめとの関連や、
卑弥呼についての考察などなど、
スサノオの説明ですら、かなりの量になるし、
まだ、いろいろと決定打がない。

などなど、自分の中がにつまっていない状態で、
歴史的考察?ならかけるが、
物語にまで、仕上げられるスサノオの感情が見えてこない。

越の国への思いはどうだったか?
ひとつでも、当時の越の国の技術の高さ。

卑弥呼が献上品にした「ケン」(変換できず)は越の国の羽二重であったのではないかという説。
この間ももっと、古い漆器がでていたが、世界最古の漆器。
継体天皇がもちだした「燃える石・水」
ぬながわ姫でもわかるが、優れた翡翠・めのう。

スサノオの伝承になれば、駒をなげいれたというように、
騎乗による移動があったと思われ、野生馬の存在考察。
馬を並べて献上したかと想われるスクナヒコの羅馬船(かがみ船)
スクナヒコが出雲の建国にかかわり、
一方で、(天の磐船でおりたった例の)ニギハヤヒが出雲の美穂浦にあらわれ、国譲りの時の事代主の元にはせ参じる。
スサノオの子供ではないかと考えたり、近畿一帯をおさめたスサノオへの忠誠だったのか?
などから、スサノオの国譲りへの思い。
出雲大社に封印されたのは、実はスサノオであるという説を逆にかんがえた、大和朝廷にとってのスサノオの位置。

とにかく、いっぱい、いろんなことを系統立てて、解釈する必要と
大胆な推理で、かつ成り立つものをかんがえつけず、
書けない自分をぶつぶつぶつ・・・。
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